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【楽しむだけではもったいない!】「自分だけの答えが見つかる」13歳からのアート思考【末永 幸歩】

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こんにちは、よだかです。

今回は末永 幸歩さんの「自分だけの答えが見つかる」 13歳からのアート思考の紹介です。

あなたは「アートとは何なのか」を考えたことがありますか?

有名な絵画や彫刻、高く評価を受けている様々な作品たち、、、。

そんなものを思い浮かべたのではないでしょうか?

もしそうなら、本書を手に取る価値があります。

なぜなら、アートそのものを限定的に捉えてしまっているからです。

本書は、あなたのアート観を大きく揺さぶってくれます。

「アート的なものの考え方」を提案する本書は、現代人が失ってしまった「自分だけのものの見方・考え方」を取り戻させてくれます。

何より、ワーク的に進む本書の構成にワクワクしながら最後まで読むことができます

初めからじっくりと楽しみながら読むことで、あなたの思考は間違いなくバージョンアップすることでしょう!

それでは早速紹介していきます。

素晴らしい作品とは?

皆さんは、どんなアートを素晴らしいと感じますか?

何を基準にして素晴らしいと判断していますか?

きっと多くの人が実物通りに再現できているかという部分に注目していることでしょう。

細部まで実物と同じように再現できている絵や、本物そっくりの彫刻など、見る人を圧倒するリアルな出来栄えは、確かに素晴らしいアートの要素かも知れません。

ところが、それは14世紀ごろにキリスト教会が権力を持っていた頃に作られた価値観なのです。

当時、権力を持っていた教会は、自分たちの権力をより一層強めるために、様々なアーティストたちに写実的な絵画を描くように依頼しました。

そして、王侯貴族が権力を持つと、肖像画などを描かせる流れが主流になります。

裕福な市民が権力を持つようになると、風景や静物などを描かせることが主流になっていきます。

このようにして、リアルなものの再現や現実感のあるものを描くことがアートの役割となっていくのです。

ところが、20世紀に入ると、アートの破壊が起こります。

カメラが登場したためです。

見えているものを完璧に再現してしまう道具によって、アートはその役割を追われることとなります。

リアルさって何?

そんな中、アートの役割を新たに見出したのがピカソでした。

それはリアルさを疑うというものでした。

ピカソの「アビニヨンの娘たち」が紹介されています。

そもそもリアルであるとはどういうことだと思いますか?

私たちのものの見方というのは思っている以上にいいかげんなものです。

勘違い、錯視、一部を見て全体を判断してしまう、、、。

また、写実的な絵ですら、私たちの見ているものを完全に再現したものではないのです。

一枚の絵を見てみるとはっきり分かるのですが、絵が切り取った瞬間には全てのものにピントが合っています。

普段ものを見ている時には、視界に入った全てのものにピントが合うということはあり得ません

どこか一箇所にピントが合って、他はぼやけているというのが現実に見えている世界です。

ピカソが表現したのは、見えている世界はごく一部であるということ。

彼の絵は多視点から見た世界を再構成しているのです。

リアルさというものを人間一人の視点を超えて追求しようとした点は、彼の功績の一つです。

想像力を掻き立てるもの

アートはどうやって完成を迎えるのか?

その疑問に一つの答えを出したのが、ワシリー・カンディンスキーです。

彼は「コンポジションⅦ」という抽象的な絵画を発表します。

一見何が描かれているのかさっぱり分からない絵画は、見た人に様々な疑問を投げかけ、その答えを考えさせました。

つまり、アートの完成を鑑賞者に委ねたのです。

もちろん、カンディンスキー自身も何のテーマもなしに絵を描いたわけではありません。

「コンポジションⅦ」は、「構成・作曲」を意味します。

つまり、流れてくる音楽をテーマに描かれた絵だったのです。

ここでアートを鑑賞する際に是非とも覚えておきたい言葉を2つ紹介します。

「どこからそう思う?」

感じた意見・印象に対して、その根拠・発見した事実を言語化する

「そこからどう思う?」

発見した事実に対しては、感じた意見・印象をアウトプットする

アート自体と双方向性を持ってやりとりする基本的な手法ですので、覚えておいてください。

これを覚えておくだけで、アートの楽しみ方が深まります!

私たちは音楽を聴くとき、普通は無心で、そこから感じたことを愉しんでいます

絵画や彫刻も、それと同じようなスタンスで接してみましょう

難しいことを考える必要なありません。(もちろん、背景知識を持っていた方がより深く愉しむことにはつながりますが)

アート思考の常識

マルセル・デュシャンの「」。

皆さんはどんな作品を思い浮かべるでしょうか?

なんとこの作品、男性用小便器にサインをしただけのものです。

彼はこれを30歳の時に発表します。

しかも、自身が実行委員を務める展覧会に偽名を使って、、、。

(彼は当時、すでにアーティストとして一定の評価を得ていました)

そこで、審査員一同が「これはただの便器だ。アートではない」と酷評するのを見守ります。

当然「泉」は、展覧会には展示されませんでした。

ところが、公募展が終わった後、デュシャンは仲間とともに発行していたアート雑誌に「泉」の写真を発表したのです。

展示されることのなかった「泉」がこうして人々の目に晒されることになったのです。

デュシャンが目をつけたのは「アートが視覚で愛でることのできる表現」に存在するという点でした。

「泉」によって、アートの領域を視覚から思考へと完全に移行させたのです。

つまり、アートという概念を「目で見て愉しむもの」から「考えて愉しむもの」へと変えてしまったのです。

アート=美という前提を完全に破壊したという功績は、今なお偉大なものとして語り継がれています。

デュシャンについて、もっと詳しく知りたい方は、以下の動画もご覧になってみて下さい。

アートそのものを見る

本記事もいよいよ大詰めです。

次に紹介されているのは、ジャクソン・ポロックの「ナンバー1A」。

同時期に同じ手法で製作された「ナンバー17A」は、美術史上5番目に入る超高額で取引された作品です。

一見ぐちゃぐちゃな線が入り乱れていて「子供のラクガキ」のようにも見えるこの作品。

もちろん、この絵の書き方そのものが珍しいという点も評価の一つです。

しかし、この作品の真価この書き方を通じてポロックが「自分なりの答え」を生み出したという点にあります。

ポロックが成し遂げたのは「アートそのものに目を向けさせる」ということでした。

これまでは、私たちが見ていたものは、アートそのものではなく、それが表現するイメージでした。

例えば、パイプの絵を見ている時に私たちが見ているのは「パイプのイメージ」であり「パイプの絵そのもの」ではありません。

他の何物にも依存しない「アートそのもの」。

ポロックは、アートを「なんらかのイメージを映し出すものためのもの」という役割から解放したのです。

ここにきてようやく、アート自体が「ただの物質」であることを許されたのです。

アートという城を消す・無くす

最後に紹介するのは現代における思考の局地。

アートの基準についてです。

皆さんは「何がアートで、何がアートでないか」をどのように判断していますか?

そこに一石を投じたのが、アンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」でした。

既存商品のロゴをコピーして、木箱に印刷しただけの作品です。

最初はこの作品はアートとして扱われることなく、空港の税関すらも通過できない有様でした。

しかし、その2年後、「ブリロ・ボックス」はカナダ国立美術館の館長によってアートであると認定されたのです!

2010年には、このシリーズの一箱がなんと300万ドル以上で取引されています。

題材も製作工程もまるで工夫の見られないこの作品が、なぜアートであるのか?

「ブリロ・ボックス」は、アートを鑑賞する人々の中にある「アートとはこういうものなのではないか?」という枠を揺るがしました。

「アートという『確固たる枠組み』は、実はどこにも存在しないのではないか?」

ウォーホルの投げかけた問いは、アートという城壁そのものを破壊しようとしているのです。

よだか流・深掘り

私たちは物事に理由を見出そうとする

私たちは、目の前で起こった物事や自分を取り巻く環境の中で生きています。

人は自分の行動に納得したい生き物です。

身の回りで起こった出来事が自身にとって理不尽であり続けることを回避しようとします。

それが、今の環境に適応したり、新たな環境へ移ろうとしたりする行動の動機となります。

その場に残るか、旅立つか。

いずれにせよ、何か行動を起こす動機というものがあったかのように錯覚しているのです。

理由とは、行動の後からついてくるもの。

時代の中でさまざまに形やあり方を変えてきたアートは、人の思考の副産物であると同時に、思考を活性化させてくれるものでもあります。

誰かが生み出したものが、他の誰かの思考を広げたり深めたりする。

アートという発明が、人の根本的な部分を揺るがすという役割を持つという認識もまた、私たちがアートに期待していることの一つです。

自分だけの答えを見つけようとする終わりのない旅に連れ出してくれることが、アートのもつ普遍的な役割なのかもしれません。

城壁を崩されたアートが、今後人類にとってどのような役割を期待されるようになるのでしょうか?

生き方そのものがアートになる

私は、人の生き方や在り方そのものがアートになっていくのではないかと思います。

すでに人の思考の内部にまでその領域を広げてきたアート。

人の思考から生まれ、人の思考に還っていく。

生まれ出た場所に還ってきたアートは、人の思考や在り方そのものと一体化して、見えないもの・感じられることなどの抽象度の非常に高い次元へと昇華していくのだと思います。

壮大な作品には、魂のレベルでなんだか言いようの無い畏怖すらも感じることがあります。

人の在り方そのものがアートになっていく時代が来るのが楽しみです。

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございます。

アートの歴史をわかりやすく解説してくれる素敵な本書。

その内容を知るだけでも充分楽しいのですが、そこから更に思考を飛躍させることができるのが本書の素晴らしいところ!

アートそのものをもっと楽しみたい方や、思考を広げ、深めていくきっかけが欲しい方にオススメの一冊です。

是非手に取って読んでみて下さい。

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