最近、ChatGPTとの対話を日々積み重ねる中で、強く感じることがある。
それは、対話型AIは良くも悪くも“自分が望む答え”を返してくるということだ。問いが限定されている以上、答えも当然その範囲内にとどまる。もっと言えば、自分が言語で表出できる範囲しか、このAIには見えていない。
最近、ChatGPTを使い込むようになったんだけど、対話型AIは良くも悪くも自分が望む答えを見せてくれるだけだって印象が強まってきた。つまり、自分が言語で定義したり表出したりできない世界は見せてくれない。意見が固まりそうになってきたら、最後にきちんと"反証"を述べさせないといけない。
— よだか(夜鷹/yodaka) (@yodakablog) April 15, 2025
この構造に気づいてからというもの、ひとつの問いや考えに対して意見が固まりそうになったとき、「反証」を必ずAIに求めるようにしている。けれども、ここにも罠がある。というのも──
「AIが出してくれる反証もまた、“自分が設定した世界観”の内側にすぎない」
このことに気づいたとき、ちょっとした虚無感すら覚えた。
AIから得た反論が一見、自分の思考に楔を打ち込んでくるようでも、
それは“自分が予測可能なほどの”揺さぶりでしかない。
要するにそれは「見たくないけれど、実は予想のついていた指摘」というだけ。
🔄そこで行き着いた一つの仮説
反証は、自分の内側からは生まれない。
本当の意味で自分の考えを揺るがすのは、
「他人に言われてグサッとくるような」外部からの視点でしかない。
だから私は、外に出ることを意識的に組み込むようにしている。
Botterであれば、それはマーケットデータを直接“身体で触る”ことだろう。
価格変動、板の構造、板が示す意志。これらに触れながら手を動かし、
仮説を検証し、コードに落とし込むプロセスが、
何より強い「反証装置」になる。
🧱私の思考の土台:モジュール的な視点
私は大学では文系学部にいたし、言語の構成や成り立ちに関する研究をしていた。
でも今、Bot開発をしていて思うのは、**私の根っこには「構造で考えるクセ」**があるということ。
パーツを分けて、つなげて、統合していく――これはプログラミングにも通じる思考様式だ。
そのため、文理の区別に違和感がある。
Botterは一見“理系的”な素養が求められそうだが、
最終的には“統合的な知性”の方が価値を持つのではないかと考えている。
ただ、初期段階での成長スピードを考えるならば、理系的な発想(≒論理操作、数理的理解)を持つほうが確かに有利だという実感もある。
私自身、最初はそれを理由にBot開発を諦めかけた時期もあった。
🧠だが、ここからが本題:反証プロセス
この「内省ログ」を締めるにあたって、自分の考え方に対する反証もここに記しておく。
それは、“もっと開かれたAIの使い方”が可能だという視点だ。
🔍【反証1】「AIは自分の言語の範囲しか扱えない」→ 問い方次第でAIは“他者”になれる
たとえば、「まったく違う立場の人がこの問いをどう考えるか?」と聞けば、
AIは自分の内面からは出てこない視点を模倣して返す。
つまり、問いのデザインを変えることで、AIは“外部性”をシミュレートできる。
🔍【反証2】「反証は他者からでないと生まれない」→ “他者性”は内部にも埋め込める
瞑想・ランダム性・夢・ノイズ。
これらを通して“論理的な自我”とは違う自分の中の領域に触れることで、
自分の中に“異質な視点”を生成することもできる。
つまり、「反証」とは必ずしも“他人の声”である必要はない。
🔍【反証3】「理系的なほうがBot開発に向く」→ でも、異質な視点こそが破壊的イノベーションを生む
「感性」「物語」「メタファー」「逆説」
こうした文系的要素が組み込まれたBot戦略は、
もしかしたら“合理的なトレーダー”には読めないマーケットの歪みにこそ刺さるかもしれない。
✍️おわりに:習慣が思考を変える
日々、ブログを書いたり、コードをいじったり、ラジオで思考を声にして発信している。
すると、不思議と**“botterらしい思考の文脈”が体に染み込んでいく**のを感じる。
習慣というのは、ほんとうに強い。
だから、たとえ今は未経験の領域であっても、毎日触れれば確実に自分になる。
このログもまた、未来の私が振り返ったときに、
「ああ、この頃はこういう視点で考えてたな」と思い出せる装置であってほしい。
🧩まとめ
私の主張 | それに対する反証(または補助線) |
---|---|
言語化できない領域はAIには扱えない | 対話の設計次第で、AIを“他者性の生成装置”にできる |
真の反証は他者からしか生まれない | 内面にも「他者性」を構造的に持ち込む方法はある |
理系的な思考がbot開発には向く | 異分野融合型の破壊的イノベーションも大きな力 |
習慣で思考は書き換えられる | 習慣の中に“予測不可能な破綻”を意図的に埋め込むと進化する |
私のようなタイプは、「AIとどう付き合うか」そのものを実験として捉えられる強みがあると思う。
だから、問いの立て方そのものを「編集」していく習慣――
つまり、「反証を生む問いのテンプレート」を手元に置いておくといいかもしれない。
たとえば、以下のような感じで。
- 「この問いを、相反する信念を持った者はどう扱うか?」
- 「このコードを“哲学者”が書くとしたら、どうなる?」
- 「今の自分が一番避けている視点から見たら、何が見える?」