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【疑いながら、理解する!?】他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ【ブレイディみかこ】

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こんにちは、よだかです。

ブレイディみかこさんの「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」を読み終えたので、内容の一部と感想をまとめていきます。

著者のブレイディみかこさんは英国在住のライター・コラムニストです。2019年に出版された「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」が様々な賞を受賞して話題になったことは記憶に新しいですね。他にも様々な著書を出版している彼女の最新刊が本書です。本書は「ぼくイエ」にて用いた「エンパシー」という言葉がダイバーシティ(多様性)推進の切り札のようなものとして捉えられると本質を見誤るかもしれないという思いから執筆されたようです。

文春オンライン 「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめに寄せて#1」

様々な先行研究や事例を取り上げながら「エンパシー」という言葉を深掘りしていく過程を見せてくれる本書は、学術書であり哲学書

誤解を恐れず言うならば「お勉強用の本」です。

様々な文献からの引用も多いので、本書の内容を受けた自分自身がどう考えるのか?を深掘りしたい方は読んでいてとても面白いと思います。

逆に、著者の濃い考えや主張自体を得たり、新たな知見を得たりすることが目的の方は読んでいてもあまり面白くないかもしれません。

私自身は、こういった哲学的な問いを残してくれる本は自分の思考を深めるヒントになるのでとても好きです!

この本は「言葉の定義が概念をつくる」ということを改めて教えてくれました。

つまり、使う言葉が自分にとってどんな意味を持つかによって世界の見え方・感じ方が変わるということです。

エンパシー」という言葉の定義に迫る過程は「共感」という概念をアップデートしてくれます。

家族、友人、周りの人、異文化を生きる人々をあなたはどのように捉えていますか?

筆者は自分以外の世界を理解する方法として「アナーキック・エンパシー」という考え方を提案しています。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで「エンパシー」という言葉の意味をもっと深掘りしてみたいと感じた方やワンランク上の理解の手法を手に入れたい方にオススメしたい1冊!

どんな学問もその成果は先行研究があってこそ!

それでは早速紹介していきましょう!今回の記事は私の感想が多めです。

アナーキック・エンパシーとは?

アナーキック(アナーキー)」も「エンパシー」も聴き慣れない言葉だと思いますので、順番に解説していきましょう。

アナーキック(アナーキー)とは当たり前を疑って、おかしいところが見つかったら絶えず下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセットのこと。

自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に帰る道を共に探していくことです。

エンパシーとは意見の異なる相手を理解する知的能力のこと。

日本では「共感」と訳されることが多いです。似ている言葉には「シンパシー」があります。こちらの方が聴き慣れた言葉かもしれませんね。

しかし、両者には違いがあるのです。そして、この違いを知っておくことがとても重要です。

■「エンパシー」と「シンパシー」の違い■

エンパシー 能力であり、身につけることができる

発揮できる対象に制限や条件が無い

どんな相手に対しても発揮できる

別にかわいそうだとも思わない相手や必ずし同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうするだろうと想像してみる知的作業
シンパシー 感情・行為であり、人の内側から湧いてくるもの

発揮出来る対象に制約がある

かわいそうだと思う相手や共鳴する相手限定

かわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動き理解やそれに基づく行為

つまり「アナーキック・エンパシー」とは現状を疑い、必要があれば作り直す必要があることを認識した上で、相手の立場に我が身を置いて考えることなのです。

もっと簡単にいうならば「疑いながら、理解する」ということです。

疑い=アナーキー理解=エンパシー

相反する両者は共存できるのでしょうか?

ワンランク上の「共感」へ

結論:疑いと理解は繋がっています

ここではその流れを説明します。

誰もが生まれながらにして自分自身の確固たる理念を持っているわけではありません。

年端もいかない小さな子供が、自分はこうあるべき!という理念を確立していたら不気味ですよね?

厳しい言い方ですが、歳を重ねた大人ですら自分自身の考えや思考を明確にできない方もいます。

けれども、そもそも完璧な思考など存在しません。

人は常に変化し続けています。

思考や理念も日々アップデートされていくものなのです。

では、その理念や思考はどのようしてアップデートされていくのでしょうか?

それは他者との関わりを通してです。

自分と違う外界に触れることによって自分との違いを認識して、初めて自分が分かるのです。

小さな頃から経験を重ねて少しずつ自分らしきものが出来上がっていくのです。

そう考えると今ここにいる自分も、他者の影響なくして出来上がったものではないということが分かるでしょう。

確固たる自分などというものは初めから存在しないのです。

自分が他者の影響から作られている存在だとすれば、自分自身が拘っていることの脆弱さが理解できることでしょう。

人は自分自身が特別であり唯一無二の存在であるかのように錯覚しがちです。

もちろん、自分自身でいることが幻想で空虚で無意味だというつもりは一切ありません。

けれども、自分が自分であるということを少し手放せば、自分と違うという理由で他者を切ることを減らすことができます

他者があるからこそ、自分という存在を認識できるのです。

他者のことを考えることは自分のことを考えるのと同義です。

自分を疑うことと他者への共感・理解を示すことは繋がっているのです。

自分を手放すな

エンパシーのキモは「他者に囚われ過ぎず、自己を手放さない」絶妙なバランス感覚にあります

あくまで使役可能な能力としての共感と認識して用いることで、その力を様々な場面で発揮させることができるのです。

特に、政治や経済・ビジネスにおいてその効果は絶大です

相手の主張や思いに寄り添って行う政策は、時に不合理な判断を招きます。

相手の気持ちや要望は充分に理解しているけれども、大勢を見て合理的な判断をする。

政治やビジネスなど多くの人を相手にする場合、国家や企業を支える思想そのものを疑ってかかる必要もあるのです。

人あっての集団ですが、多くの人が集まるからこそ見えにくくなるものもあります。

その集団を維持すること自体が目的になってしまうと、既存のルールを維持すること自体が目的になってしまうことがあります

目的と手段を間違えないようにするには、自分自身が守っているものが規則を存続させることなのか、その集団を作っているひとりひとりなのかを問い続けることを忘れてはいけません。

社会の作ったロールモデルやそれらしいものの見方に支配されて、自分のとるべき行動や振る舞いを決めてしまっていませんか?

「男性脳」「女性脳」の議論はその代表格であるとも考えられます。

自身に与えられた社会的な役割に則って行動することはある意味では鋳型にはまった行動であり、自分であることを手放してしまっているのと同じです。

また、ジェンダー・ロールについても同様です。

日本ではまだまだこういった性への理解が進んでいないのが現状です。

以下の動画が公表されたのが2016年です。

この記事を書いている2021年8月現在でも、日本国内での性への理解度は充分とは言えません。

理解のきっかけになるものが拡散されづらい社会であることが問題の一端であると感じます。

常にアンテナを高くしておいて、理解をアップデートし続けることが重要なのです。

煩わしく遅いものを守れ

心穏やかでいられなくなる煩わしさとはできる限り距離を置きたいものです。

しかし、その煩わしさこそエンパシーを育む大切な要素なのです。

遠く離れた存在の苦しみにどれだけ想いを馳せることができるかがエンパシーを育むヒントになります。

自分とは異質なものを認識し、その有り様を理解しようとする営みに注目してみましょう。

興味深いのはguilt(罪悪感)という言葉の働きです。

私たちは自分がここに存在している理由をもとめがちな生き物です

特に過去に起こった出来事に対してその傾向が顕著に現れます。

「あの失敗も今になってみれば笑い話」「あの出来事があったから今の自分がある」などのポジティブな捉えから「あの時、あれをしておけば今こんなことになっていないのに、、、」などのネガティブな捉えまで様々にあります。

現在の自分だけに完全に没頭して生きている人は恐らくいないでしょう。

過去に出来事の中に誰かを助けられなかったという罪の意識を持つことは誰しも嫌なものです。

現在目の前で起こっている痛ましい出来事に対して何かできないか、あるいは自分は何もやっていないわけではないという言い訳を作ります。

ある人は行動を起こし、またある人は多くを学び次の行動につながる一歩を踏み出すかもしれません。

あるいは、今の自分の現状を盾にして何もしないという選択肢を取ることもあります。

このどれもが利他的な行動動機であることがお分かりでしょうか?

自分の中に生じたアンハッピーな感情を解消する、あるいはアンハッピーな感情を生じさせないために、誰かを助けているのです。

利他的な行動は、利己的な行動の裏返しなのです。

誤解しないでいただきたいのは、この場で利己や利他の是非を問いたいのではないということです。

このような流れがあって、我々は行動を選んでいるのだということを事実として認識しておくことが、自己理解・他者理解に繋がるのだと思うのです。

自分の中に生じた虚像を大切に扱える人ほど、高いエンパシーを発揮できるようになります。

ネット世界でエンパシーは育たない

インターネットがあるのが当たり前の現代。

ネット環境下でエンパシーを育てるのは難しいのかもしれません。

なぜなら、ネット環境とシンパシーの親和性が非常に高いからです。

SNSにおいて人と人との繋がりを持つことが当然のように行われている現代では、個人の存在承認が「いいね!」の数で決まります。

直接の対面で発生しうる様々な面倒ごとをほとんど排除して、短い文章や数枚の画像や写真で承認欲求を満たす形にシフトしてきています。

若者のインスタグラム・ティックトックなどへの参入率の高さからもそれが分かるでしょう。

よりインスタントであればあるほど、エモーショナルな部分にアプローチしやすくなります

なぜなら、感情はインスタントにその場限りで発生するものだからです。

冒頭でまとめたように、シンパシーは共鳴・共感という性質があります。

SNSのインスタントな文化とシンパシーの性質は非常に相性が良いのです。

一方、情報を集めて相手の背景に想いを巡らすエンパシーはその性質上、SNSとの親和性は低いのです。

エンパシーを育むのは対面での直接のやり取りです。

時間もエネルギーも必要ですが、丁寧に育んだことは時間が経っても薄れることはありません。

私たちがすべきは、今この瞬間のやり取りを本気で大切に扱うことなのです。

支配を拒否して個人に至る

近年、ますます個人の発信が容易になってきています。

様々な媒体を通して、映像・文字・音声など本当に様々な場面で個人の発信に触れることができるようになってきたのは本当にありがたいことです。

けれども、同時にそれらに飲み込まれない努力を続けないと自分を手放して生きることになってしまうのではないかという不安もあります。

一般的に発信力を持っている人は、何かしらの分野で成功を収めたり一定の成果を上げたりした方達です。

発信力という権威性を情報を受け取る側が過度に評価して、自分自身の価値観や考え方を見つめる機会を減らしてしまっているのではないかと思うのです。

この数年で、ネット上で得られる情報量は過去の何倍にもなりました。

自分の求める情報はほとんど全てタダで手に入るようになりつつあります。

モノが溢れかえった現代、私たちは知的欲求をお手軽に満たしてくれるものを求めています。

その先駆けが SNSでの有益な情報発信です。

「こうすれば上手くいく」

「再現性の高い方法」

「生産性を高めるノウハウ」

「思考改善で幸福な人生を掴む」

誰かの提案する成功法則はとても魅力的見えますし、発信者も善意でやっている場合が多いことは充分に理解しているつもりです。

しかし、受け手に情報リテラシーが不足してる場合はどうでしょうか?

有益な情報であっても、それらを使いこなせるようでなければ一時のシンパシーに飲み込まれてはいけません。

自分自身が受け手としてどうあるべきなのか?

見ている世界は本当に自分自身の目で見ていると言えるのか?

受け止め方も感じ方も考え方も、本来の自分から発することは本当に難しい。

けれども、自分の靴が自分のものではないのだということを知っていれば、その靴はいつでも脱げるし、他者の靴を気軽に履いてみることもできるのかもしれません

自分の判断基準を手放してしまっている状態に陥らないよう、自分自身にエンパシーを発揮してあげることを意識しておきたいものですね。

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございます。

本書は私たちに明確な答えをくれるものではありません。

政治・経済・ SNS・先人たちの研究・教育など様々な切り口から内容を展開する本書は、非常に読み応えがあります

「エンパシー」という言葉の定義に迫る旅の途中で、読者自身にも様々な問いを投げかけてきます

その過程で自分自身の答えを導くことが重要なのだと感じさせてくれます。

読んだ人によって様々な感想があると思いますし、好き嫌いも別れるでしょう。

しかし、思考を紡ぐという営みにおいてはそれが良いのです。

誰かが主張したことをインスタントに良い・悪いとジャッジするのではなく「アナーキック・エンパシー」を発揮して「疑いながら、理解する」ことができるようになれば、違いを受け入れあう世界に一歩近づくのではないかと感じます。

これからも自身の思考をアップデートしていくために、学び続けていく必要があるのだと強く感じさせてくれた素晴らしい1冊でした。

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