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「設計が美しい物語は、安易に救わない」― 『冷たい校舎の時は止まる』感想

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こんにちは、よだかです。

辻村深月さんの『冷たい校舎の時は止まる』を読みました。

冬のある日、不思議な力で校舎に閉じ込められた高校生たちが脱出を試みる物語――と一言で言ってしまえばそれまでですが、本作は単なるミステリーやホラーにとどまりません。同級生の自殺という重いテーマを軸に、それぞれの人物が抱える過去や罪悪感、ままならなさが緻密に絡み合いながら、物語は静かに進んでいきます。

読み終えた今、私の中に残っているのは「感動」というよりも、構造の美しさへの驚きと、苦しみや悩みとどう向き合うかという問いでした。

本作は、人を許すとはどういうことか、救いとは何か、そして人生における苦しみは本当に不要なものなのか――そんなテーマを考えさせてくれる作品です。

語りたいことがたくさんあるので、本記事ではそれらを整理しながらまとめていこうと思います。

※ネタバレ防止のために具体的な人物名は伏せますが、それでも展開の面で多少のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

1. 感動よりも「設計」に震えた

本作を読み終えたとき、まず浮かんだ感想は「泣けた」という言葉ではありませんでした。
もちろん、胸が動く場面はたくさんあります。終盤の展開は緊張感もあり、感情を揺さぶられる瞬間も確かにあります。

それでも私の中に強く残ったのは、「よくここまで設計したな」という驚きでした。

物語のクライマックスで、精神的に追い詰められた人物を救おうとする場面があります。こうした展開は、物語の王道でもありますし、感動的に描こうと思えばいくらでも描けるはずです。

けれど本作では、その行動が“演出”に見えませんでした。

なぜなら、その場面に至るまでに、登場人物それぞれの過去や葛藤、抱えてきた傷が丁寧に積み上げられているからです。
彼らがなぜその選択をするのか、なぜそこまで踏み込めるのかが、読者にも自然と腑に落ちるように描かれています。

私は、物語の中で舞台装置のように使われる自己犠牲にはあまり心が動きません。
「ここで感動してください」と言われているように感じてしまうと、どうしても一歩引いてしまいます。

けれど本作には、それがありませんでした。

感動の場面が“用意されている”のではなく、
人物たちの積み重ねの先に、必然としてその瞬間が訪れる。

伏線が回収される、というよりも、
それまでの感情がきちんと回収されていく感覚でした。

あのときの言葉や視線、違和感が、終盤で意味を持つ。
それがパズルのように整うのではなく、人の心として整っていく。

そのとき、私は物語そのものの構造に震えました。

感動は確かにあります。
けれど私にとって本作の魅力は、涙を誘う場面そのものよりも、そこに至るまでの設計の美しさでした。

設計が美しい物語とは、伏線が回収される物語ではなく、感情が回収される物語です。

もし同じように、「ただ泣けるだけでは物足りない」と感じる方がいるなら、本作の魅力はきっとそこにもあると思います。


2. いやらしくない自己犠牲の理由

物語の中で「誰かのために身を投げ出す」という展開は、決して珍しいものではありません。むしろ王道と言ってもいいでしょう。

けれど正直に言うと、私はこうした自己犠牲の描写に冷めてしまうことがあります。
物語を盛り上げるための装置のように感じてしまうと、どうしても一歩引いてしまうのです。

「ここで感動してください」と言われているような自己犠牲には、心が追いつきません。

本作がすごいのは、その違和感がなかったことでした。

終盤で描かれる行動は、決して軽いものではありません。むしろ重く、切実です。それでもそれが“きれいごと”に見えなかったのは、そこに至るまでの人物の積み重ねがあるからだと思います。

登場人物たちは、それぞれが過去にどうしようもない現実を経験しています。
自分の力では変えられなかった出来事や、向き合いきれなかった感情を抱えたまま生きてきています。

だからこそ、追い詰められた誰かを前にしたとき、その選択をすることが自然に思えるのです。

「勇気を出した」というよりも、
「その人ならそうするだろう」と納得できる。

ここに説得力があります。

自己犠牲がいやらしく感じるときというのは、その人物の内面よりも“展開”が先に見えてしまうときなのだと思います。物語を動かすために、その行動が選ばれているように見えると、どうしても作為を感じてしまいます。

けれど本作では、人物の内面が先にありました。

それぞれが抱えてきた傷や後悔が、行動の土台になっている。
だから、その場面は演出ではなく、帰結に見える。

この違いは、とても大きいと感じました。

また、本作はその行動を過剰に美化しません。
劇的な言葉で飾り立てるわけでもなく、「これで全てが救われた」と強調するわけでもない。

だからこそ、押しつけがましさがないのです。

誰かのために動くということは、本来そんなにきれいなものではないはずです。迷いも恐れもある。それでも動いてしまう。その揺れを含んだ描写があるから、心に残るのだと思います。

もしあなたが、物語の“感動の押し売り”に違和感を覚えたことがあるなら、本作の自己犠牲はきっと違う手触りで感じられるはずです。

それは、美談ではなく、必然でした。


3. 高校生が大人びている問題について

本作を読んでいて、「高校生にしては少し大人びているのでは」と感じた方もいるかもしれません。実際、登場人物たちは冷静に状況を分析し、自分の内面を言語化し、複雑な感情と向き合おうとします。

私自身も、ふと「こんなに賢い高校生ばかりだっただろうか」と思う瞬間はありました。

けれど、その違和感はあまり気になりませんでした。むしろ私は、「これは物語を機能させるための設計なのだろう」と自然に受け止めていました。

本作は、同級生の自殺という重い出来事を軸に、人の罪悪感や後悔、許しの問題を描いています。もし登場人物たちがあまりに幼く、ただ感情に振り回されるだけの存在だったとしたら、物語はここまで深いところまで進めなかったのではないでしょうか。

彼らがある程度自分の内面を見つめる力を持っているからこそ、物語は「怖い出来事」から一歩踏み込んで、「なぜ自分はこう感じるのか」という問いへと進んでいきます。

また、彼らがどこか達観しているように見えるのも、単なる賢さというよりは、それぞれがすでに“ままならない現実”を経験しているからだと感じました。

自分の力ではどうにもできなかった出来事。
消したくても消せない記憶。
向き合いきれなかった後悔。

そうしたものを抱えている人は、年齢に関わらず、どこか静かな影をまといます。本作の高校生たちの大人びた雰囲気は、そうした背景から生まれているように思えました。

もちろん、現実のすべての高校生がこうであるわけではないでしょう。けれど物語の中で、彼らはテーマを背負う役割を担っています。その意味で、彼らの設定は「リアルかどうか」よりも、「物語にとって必然かどうか」で読むのが自然なのではないかと私は感じました。

それでも、わちゃわちゃとしたやり取りや、ぎこちない距離感、微妙な空気の揺れには、高校生らしさがきちんと残っています。全てを言葉にしなくても、なんとなく通じ合っている感覚。完全に理解しているわけではないのに、どこか居心地の良い関係。

そのバランスがあったからこそ、私は彼らに違和感を抱かずに読み進めることができました。

物語の登場人物を「現実の基準」で測るか、「物語の必然」で読むか。その違いで印象は大きく変わるのかもしれません。

私は後者の立場で読みました。そしてその読み方を選んだことで、本作のテーマがより深く届いたように感じています。


4. ホラーと推理のバランスが絶妙だった

本作はミステリーとして語られることが多い作品ですが、読んでみるとホラーとしての側面もかなり強いと感じました。

閉じ込められた校舎、外界と遮断された状況、血の描写や怪我、追い詰められる緊張感。
場面によっては、パニック系のホラー映画を思わせるような演出もあります。

正直に言えば、こうした展開は一歩間違えると単なる恐怖演出に流れてしまいがちです。登場人物が必要以上に取り乱し、叫び、混乱するだけで物語が進んでいくと、読者としては少し距離を感じてしまうこともあります。

けれど本作は、そのバランスが非常にうまい。

恐怖の描写がありながら、登場人物たちは思考を止めません。
状況を分析し、仮説を立て、互いの言葉を照らし合わせながら、冷静に解決へ向かおうとします。

だからこそ、この物語は「パニックもの」ではなく「推理もの」として成立しています。

怖い状況の中で、ただ逃げ回るのではなく、「なぜこうなっているのか」を考え続ける姿勢がある。
その思考の積み重ねが、物語を前へ進めています。

私は、登場人物が意味もなく取り乱す展開があまり好きではありません。
もちろん、人間は極限状況でパニックに陥るものですし、それ自体がリアルであることもあります。けれどそれが物語を深めるために機能していないと、どうしてもノイズのように感じてしまいます。

本作では、恐怖は単なる刺激ではなく、人物の内面を浮かび上がらせる装置として使われています。

恐怖に直面したとき、人は何を思うのか。
誰を信じるのか。
自分のどんな部分が露わになるのか。

その描写があるからこそ、ホラーと心理ドラマがきちんと結びついています。

また、怪異の正体が徐々に明らかになっていく過程も見事でした。
説明過多にならず、それでいて置いてきぼりにもならない。読者が一緒に推理している感覚を保ったまま、物語が収束していく。

恐怖で引き込み、思考で支え、構造で納得させる。

この三つがきれいに噛み合っているからこそ、読み応えがありました。

もしあなたが、ただ怖いだけの物語は少し苦手だけれど、謎を解きながら進んでいく作品は好き、というタイプであれば、本作のバランスはきっと心地よく感じられるはずです。

恐怖と理性。その両方がきちんと機能していることが、本作の大きな魅力の一つだと感じました。

この点(恐怖とそれに向きあう人々を巧みに描いている)においては、小野冬美さんの「営繕かるかや怪異譚」シリーズや「残穢」などもおすすめです。気になる方はそちらもチェックしてみてください。


5. 人を許すことはできるのか

本作を読みながら、何度も頭をよぎった問いがあります。
それは「人を許すことは本当にできるのか」ということでした。

物語の中心には、同級生の自殺という重い出来事があります。そして、その出来事に対して登場人物たちは、それぞれの立場で向き合おうとします。

誰かが直接手を下したわけではない。
けれど、無関係でもいられない。

あのとき何かできたのではないか。
あの言葉は、あの態度は、傷つけていなかったか。

こうした後悔や罪悪感は、明確な加害者と被害者の構図では語れない種類のものです。だからこそ、より厄介で、より苦しい。

「許す」という言葉は簡単ですが、その中身はとても複雑です。

相手を理解することなのか。
過去を水に流すことなのか。
それとも、自分の中の怒りや後悔を手放すことなのか。

本作では、誰かを断罪して終わることはありません。
はっきりとした裁きが下されるわけでもなく、全員が納得する形で整理されるわけでもない。

それでも登場人物たちは、その事実から目を背けません。

自分の中にある、きれいではない感情とも向き合おうとします。
相手の弱さや未熟さを、簡単に正当化はしないけれど、ただ憎むだけでも終わらない。

その姿勢が、とても印象的でした。

人を許すことは、決してきれいな行為ではないのだと思います。
ときには、相手のためではなく、自分が前に進むための選択でもある。けれどそれを「前向きな成長」と一言でまとめてしまうには、あまりにも複雑です。

本作は、許しを美談として扱いません。
「許せてよかったね」とは言わない。

ただ、向き合うことから逃げない姿勢を描きます。

それが、かえって誠実に感じられました。

読者の立場としても、この問いに明確な答えを出すことはできません。
けれど、だからこそ考え続ける価値があるのだと思います。

もしあなたが、過去の出来事や誰かの言動に対して、いまだに整理しきれない思いを抱えているなら、本作のこのテーマはきっと静かに刺さるはずです。

許すことはできるのか。
もしかすると、その問いを持ち続けること自体が、私たちにできる誠実な態度なのかもしれません。


6. 苦しみや悩みは、人生に必要なのか

本作を読み終えて、私の中に残った問いの一つがこれでした。

苦しみや悩みは、本当に不要なものなのでしょうか。

もちろん、苦しみが多いほうがいいとは思いません。
できることなら、痛みや後悔は少ないほうがいい。
それは誰だってそうだと思います。

けれど本作の登場人物たちを見ていると、彼らが抱えてきた苦しみが、ただの“マイナス”として描かれていないことに気づきます。

それぞれが過去に、自分の力ではどうにもできなかった現実を経験している。
その経験は決してきれいなものではなく、できれば避けたかった出来事ばかりです。

それでも、その痛みがあるからこそ、他者の弱さに気づける。
自分の未熟さを直視できる。
誰かを救おうとする必然性が生まれる。

苦しみは、決して美しいものではありません。
けれど、それが人を深くする側面もあるのではないかと、本作を読みながら感じました。

私は、悩みがあること自体を不幸だとは思いません。
むしろ、悩めるということは、それだけ真剣に生きているということでもあるのではないでしょうか。

もし人生が、簡単に乗り越えられることばかりだったら。
もし何も引っかかるものがなかったら。

それはそれで、どこか味の薄いものになってしまう気がします。

もちろん、とびきり苦労したいわけではありません。
ただ、悩みや葛藤があるからこそ、自分が何を大切にしているのかが見えてくる。
苦しみがあるからこそ、喜びもまた輪郭を持つ。

本作は、苦しみを消してくれる物語ではありません。
けれど、苦しみとどう付き合うのかを静かに問いかけてきます。

年齢を重ねれば、悩みが消えるわけではない。
ただ、その付き合い方が少しずつ磨かれていくのかもしれません。

登場人物たちが、自分の中のきれいではない部分と向き合おうとする姿を見ながら、私はそんなことを考えていました。

苦しみや悩みは、人生に“必要”なのか。
はっきりとした答えは出ません。

けれど少なくとも私は、それらを完全に排除したいとは思いません。

きっと私たちは、苦しみを通して、少しずつ自分の輪郭を知っていくのだと思います。


7. はっきり救わないエンディングが好きだった

本作のエンディングは、いわゆる「大団円」ではありません。

主人公サイドの人物たちは、ひとまず現実へ戻っていきます。けれど、すべてが完全に救われたわけではない。過去がなかったことになるわけでもなく、傷が消えるわけでもありません。

その曖昧さが、私はとても好きでした。

物語としては、もっとはっきりと「救われました」と描くこともできたはずです。
けれど本作は、あえてそこまで踏み込みません。

同級生の自殺という出来事は、取り消すことのできない事実です。
どれだけ向き合い、理解し、言葉を尽くしても、その出来事そのものがなかったことにはならない。

だからこそ、安易なハッピーエンドにしなかったのだと思います。

かがみの孤城』のように、ファンタジー色が強い物語であれば、明るい救済は自然に感じられます。けれど本作は、もっと現実に近い場所で揺れています。

現実は、きれいに丸く収まることのほうが少ない。
わだかまりや後悔を抱えたまま、それでも前に進むしかない。

その温度感が、エンディングにもきちんと反映されていました。

私は、物語がすべてを解決してしまうことに、どこか物足りなさを感じることがあります。
人生はそんなに整理よく進まないと、どこかでわかっているからかもしれません。

本作の終わり方は、「救われた」と断言しません。
けれど、向き合ったことだけは確かに残っています。

それで十分なのだと、静かに示しているように感じました。

はっきりとした光ではなく、薄明かりのような余韻。
それが、この物語の重さと誠実さにふさわしい着地だったのではないでしょうか。

読み終えたあと、派手な感動よりも、じんわりとした満足感が残る。
それはきっと、この作品が安易に救わなかったからだと思います。

ままならなさを抱えたまま、それでも生きていく。
その覚悟を、そっと差し出してくれるようなエンディングでした。

まとめ

『冷たい校舎の時は止まる』は、感動を前面に押し出す物語ではありませんでした。

むしろ私にとっては、設計の美しさに震え、人物たちの必然的な行動に納得し、そして「苦しみとどう付き合うか」という問いを静かに差し出してくる作品でした。

人を許すことはできるのか。
自分の中のきれいではない部分を受け入れられるのか。
悩みや葛藤は、人生にとって本当に不要なものなのか。

はっきりとした答えは提示されません。
けれど、問いを投げかけたまま放り出すのでもなく、向き合う姿勢だけは確かに描いています。

だからこそ、読後に残るのは派手なカタルシスではなく、じんわりとした満足感でした。

苦しみを消してくれる物語ではない。
でも、苦しみと共に生きていくことを、少しだけ肯定してくれる物語。

私はそんなふうに受け取りました。

もし本作を読んだ方がいれば、ぜひあなた自身の感じたことも大切にしてほしいと思います。同じ物語でも、きっと受け取るものは人それぞれです。

そしてまだ読んでいない方がいるなら、ぜひ一度、じっくりと向き合ってみてください。

きっと、何かしら自分の中に引っかかる問いを持ち帰ることになるはずです。

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