52ヘルツのクジラたち(著・町田そのこ)を読了。
重い、けれどもあたたかい作品。
虐待・DV・離婚・不倫・性の在り方など様々なことを考えさせてもらえた。
今に苦しむ人達に届いて欲しい一冊。
52ヘルツに込めた意味
他のクジラたちが聞き取れない周波数で鳴くクジラがいるそうだ。
海の中ですれ違っても、他の鯨に気づかれることもなく、孤独に生きる存在。
声を上げているのに誰にも気づかれない存在がいる。
この作品のテーマの1つだと感じた。
行動しても誰にも届かないという感覚は、寂しさや孤独を生む。
人付き合いに救いを求める現代人には、共感できる部分が多くあるのではないだろうか。
ネット上での交流がどんどん加速しつつあり、人同士の直接の触れ合いをどこか懐かしく思うからこそ、52ヘルツという言葉が響く。
登場人物の背景がとにかく重くて、序盤はなかなか感情移入できなかった。
私自身は、虐待を受けた経験もないので、彼らの人生をそれとなく想像した程度だ。
そこに焦点を当てたのが、本作品の魅力の1つとも言える。
虐待を生むものを考える
おおまかなストーリーは、ある事情を抱えて田舎に移り住んできた主人公が、虐待されている子供に出会い、救おうとするというものだ。
現在の日本では、児童虐待はどんどん増えていて、話題に上がる機会も増えてきた。
現実から目を背けてはいけない。
われわれはきちんとデータを見るべきなのだ。
虐待件数増加の背景には、認知の基準が示されるようになってきたということがある。
虐待だとされる基準が、以前よりも多くの人の間で共有されるようになってきたからである。
虐待という現実にどう対処するかということと、それを生まないためにまず我々自身には何ができるのかということを考えさせられた。
無知は罪。
私たちは、それぞれに必要なことを知る仕組みを作っていかなければならない。
余計な情報が多すぎて、本当に必要な情報に辿り着くのが難しい現代。
虐待そのものを無くすには、一人一人が目の前にある現実をしっかり見なければいけない。
足元をよく見てみよう。
この本を読んだ人達が、虐待って何なのか、何が虐待を生むのか、そして虐待を生まない社会にするために私たち自身はそれぞれ何ができるのかということを考える機会になると良いと思う。
性はグラデーション
近年は、性のあり方についての理解が少しずつ広がりつつようにあると感じる。
本作品以外にも、小説というジャンルにおいて、性の在り方について随分とフランクに描かれるようになってきた。
以前、LGBTについて学んだ時に「性はグラデーション」という言葉に出会って、これはずっと大切にしようと思えた。
LGBTという言葉だけでは括れない世界があることを知った。
その人自身の在り方を、緩やかに理解していくということも大切にしたいと思った。
性の在り方については、本当に様々な解釈がある。
日々、発信される情報に触れ続けることが最も大切なのだとも思う。
小説の中で描かれる表現には、そこにたどり着くまでの様々な背景があったことを感じさせるものもある。
性の在り方については、世の中の関心を集めるものになっているのだと改めて思う。
それぞれの価値観・在り方を知るという意味では、これからも新しい発信に触れ続けていきたい。
そういった発信が、以前よりもしやすくなった世の中に感謝をしたい。
愛って何?
愛するということは、本当に難しく、単純で、深い。
物語の登場人物たちは、みんなが52ヘルツのクジラなのかもしれないと思った。
それぞれに愛情の伝え方があるのだが、それらはことごとく相手に届いていない。
みんながすれ違い続けている。
一度は無条件に愛される経験をしないと、愛の受け止め方も分からないのかもしれない。
愛するとは、愛されていると感じることに近い。
まずは、相手のことを受け止めること。
主人公は生き方は、その大切さを教えてくれる。
相手に気持ちが届くこと自体が、もう十分に幸せなのだ。
今、自分が持っているものを数えよう。
読書は人生の追体験だということを改めて実感できた。
声を出しているけれど、聞こえない・届かないということが私たちの身の回りもたくさんあるはずだ。
たまたま重なり合っている部分が通じ合ってることなのかもしれないとも思う。
私たちもまた、それぞれの周波数を持っているのだ。