こんにちは、よだかです。
重松清さんの小説「疾走」を読み終えたので、感想をまとめていきます。
これは、1人の少年の人生を描いた物語。
重たい雰囲気が絶え間なく襲いかかってくる作品です。
読書好きの私でも、スラスラと読み進めるのは流石にすこ〜し苦痛でした。
部落差別・いじめ・孤独・家族愛・隣人愛・犯罪・絶望・僅かな救い、、、。
様々なテーマが見事に絡み合った素晴らしい作品であることは間違いありません。
人生ハードモードという言葉でさえ生ぬるく感じるストーリーですが、僅かに救いとなる部分もあります。
読んでいて決して元気の出るわけではありませんが、生きるということを丁寧に見つめ直すきっかけをくれます。
心に余裕があって、ヘビーな読後感にも耐えてやろう・そこから一踏ん張り考えてみようという方におすすめの一冊です。
あらすじ
主人公のシュウジは、父、母、兄の4人家族で西日本のとある町で暮らしています。
町は干拓地にある集落「沖」と干拓以前からの集落「浜」に分かれています。
「沖」と「浜」の交流はほとんど無く、「浜」の人間は「沖」の人間を快く思っていませんでした。
シュウジの一家は「浜」に暮らしていましたが、シュウジ自身は「沖」の人たちに対して、酷く見下す考え方を持っているわけではありません。
けれども、自分の中に満たされない何かがあることは漠然と感じているシュウジ。
家族、町のチンピラとその情婦、神父、同級生のエリなど様々な人物と関わる中でたどり着いたシュウジが考える「ひとり」とは、、、?
異分子というジャッジ
「沖」のハズレに住み着いたチンピラの「鬼ケン」と「アカネ」と関わりを持つ場面から物語は始まります。
本来ならば、どちらもシュウジの人生にはおよそ関わりのない人物でした。
ところがある日、壊れたシュウジの自転車を鬼ケンの軽トラで運んでもらうという出来事をきっかけに少しだけ関わりを持つようになります。
自身の生活圏から離れた存在に触れる感覚は誰しも違和感を覚えるものです。
シュウジは物心つくかつかないかの微妙な年齢で彼らと出会ったためか、その違和感を定着させることなく成長していきます。
ある意味では、シュウジが「浜」の考え方にどっぷりと浸からずに済むきっかけを作ったのがこの2人なのです。
幼少期に学んだ価値観は、大きく成長してからもなかなか変わることはないのだということを改めて思いました。
寄り添うけれども強要はしない
物語の中でシュウジに最も大きな影響を与えた人物の1人が神父です。
彼は「沖」にできた教会に住んでいて、過去に犯した罪を抱えて生きています。
しかし、その罪と向き合い続ける生き方の中で彼自身が掴んだ生き方・考え方があります。それはシュウジに向き合う姿や発する言葉から感じ取ることができます。
人との関わり方や問題との向き合い方に悩むシュウジを諭すように関わり続け、けれども決して「こうすべき」というアドバイスはしません。
シュウジに降りかかる様々な困難を無理に解釈することなく、シュウジ自身に向き合わせようとする姿は子供を導く大人のあるべき一つの姿です。
全ての人間の中にそれぞれの答えがあるということを信じ抜く姿勢を、神父の生き様から強く感じました。
誰かに何かを伝えたい時、私たちはついつい答えを口にしてしまいがちです。
しかし、その答えはあくまで答えを伝えた側の答えなのであり、答えを伝えられた側の答えではないのです。
神父にはそれがわかっていたからこそ、シュウジに直接的なアドバイスはしなかったのでしょう。
心が壊れてしまう?
人は弱い生き物であるということもこの物語の中ではかなり強く描かれてるように感じます。
親友が転じていじめっ子になったり、優等生が背負った期待に耐えられなくなって不正行為を働いてしまったり、劣等コンプレックスが原因で誰かを徹底的に痛めつけるようになってしまったり、、、。
この物語には、様々な原因で心を壊してしまったのだろうなと感じる人物が本当にたくさん登場します。
ただ、その壊れた状態でもなんとか形を繋ぎ止めて必死に生きているのも事実です。
そもそも心が壊れていることに気づけるのは、自分自身ではありません。
壊れるという判断そのものも周りとの比較で初めて分かるものなのです。
自分が幸福であると感じたのなら、どれだけ荒んだ生活を送っているように見えても、それはその人にとって幸福なのです。
シュウジが自身の心を守るために選んだのは「心を空っぽにすること」でした。からからのからっぽという言葉が、それをよく表しています。
物語の登場人物は、自分の壊れかけた心を抱えて必死に生きています。
心の在り方を丁寧に見つめ続けることを通して、今自分の在り方は心地良いのかということに気付き続けることこそが、生きていく上で大切なことなのではないでしょうか?
人はひとり
エリという存在は、シュウジの視点を通すとまるで別格の存在であるかのように描かれています。
しかし、彼女もまたひとりの人間。
物語の終盤でエリがシュウジに発したセリフ「くっつかないで。でも、隣にいて」は、人の弱さと強さの両方を表しているように感じました。
自分にとってちょうど良い距離にいて欲しい。ちょうど良い距離に居続けて欲しい。手に入れることはないけれど、その分失う不安もない。
傷つけられるのが怖いから、先に自ら傷を負う。
エリのやったことは、結果として過剰に自分を傷つけることになってしまいましたが、その行動自体はエリ自身の強さとも解釈できます。
まっすぐ自分の生き方を曲げなかった・曲げることを許さなかったエリは、自分自身を手放さない強さを磨くと同時に徹底的に傷ついていきます。
再び立ち上がれないほどの傷を負った時、そばにいてくれる人がいるということがどれだけの救いになるのか。
その価値を知っていれば、無闇に人を傷つけることも無くなるでしょうし、傷を負った自分にも優しくできるようになる気がします。
人はどこまでいってもひとりです。
けれども、お互いにかけがえのないひとりであるからこそ、その生き方や在り方を尊重して、寄り添うことができるのです。
まとめ
どこまでいっても重たく暗いストーリーを最後まで読み切らせてくれたのは、その語り口にあります。
第3者の視点から少しの温かみを感じさせる口調で紡がれる文章が、本作品をより一層素晴らしい仕上がりにしてくれています。
この本は、ワクワクしながら読む本でもなければ、ハッピーエンドを喜ぶ本でもありません。
この作品に込められたのは、人の心の弱さと儚さです。
シュウジの駆け抜けた人生は「疾走」というタイトルに相応しく、読者の心に新しい風を吹き込んでくれます。
上下巻で読み応えのある本作品、是非とも手に取っていただければと思います。