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【読書感想】『熟柿』――合わなかった。されど良作。

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こんにちは、よだかです。

最近、佐藤正午さんの小説『熟柿』を読みました。ざっくり言えば、過去に犯した罪を抱えながら生きる女性の半生を描いた作品です。ただ、この一文ではまったく足りないくらい、読後にいろいろなものが残る小説でした。

正直に言うと、私にはあまり合いませんでした。読んでいて気が滅入るシーンが多かったし、精神的な消耗も大きかったです。ただ同時に、「これは良作だな」ともはっきり思いました。

「合わないのに良いと思う」という、少しチグハグな感想になったのですが、改めて整理してみると、その2つは矛盾しないという結論に至りました。

今回は、なぜそのような感想になったのか、作品の内容に触れつつ、自分なりに言語化していきます。

※本記事は『熟柿』のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

本書はお勧めできる一冊です。
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1. あらすじ紹介

本作『熟柿』は、轢き逃げ事故を起こした女性・かおりの、その後の人生を描いた小説です。

激しい雨の夜、かおりは眠る夫を助手席に乗せた車で老婆を撥ね、轢き逃げの罪に問われます。服役中に息子・拓を出産しますが、出所後も息子と普通に暮らすことはできません。息子に会いたい気持ちを抑えきれず、園児連れ去り事件まで起こしてしまい、やがて息子との接見も禁じられます。

そこから、かおりは自分の罪を隠しながら、西へ西へと流れるように生きていきます。真面目に働き、生活を立て直そうとしながらも、過去の事故と息子への思いが、彼女の人生にずっと影を落とし続けます。

ただ、この作品は単純に「罪を犯した人の転落」だけを描いた話ではありません。かおりの弱さ、母親としての情、周囲の人間の卑怯さや優しさ、そして人が誰かと関わりながら生きていくことまで含めて描かれています。

だからこそ、読んでいてかなりしんどい作品でした。
次の章では、まず私がこの作品を読んでどれくらい消耗したのか、そしてなぜそこまで重く感じたのかを書いていきます。

2. 読んでいてかなり消耗した

正直に言うと、本作は読んでいてかなり消耗しました。

面白くなかったわけではありません。むしろ、読ませる力はかなり強い作品だと思います。ただ、ページをめくるたびに気持ちが沈んでいくような感覚がありました。

かおりの人生は、ずっと重いです。轢き逃げ事故を起こし、服役し、息子と離れ離れになり、出所後も罪を背負いながら生きていく。しかも、そこに劇的な救済があるわけではありません。大きく報われる話でもない。読んでいて、「ここまでしんどい人生を追いかけるのか」と思う場面が何度もありました。

ただ、この作品がきついのは、単に不幸な出来事が多いからではないと思います。

一番しんどかったのは、登場人物たちの弱さが、妙に生々しいことです。

かおりは、根っからの悪人ではありません。むしろ、出所後の生活を見る限り、かなり真面目に生きようとしている人です。働く。耐える。過去を抱える。息子への思いも抱え続ける。

でも、その一方で、決定的な場面になると判断を誤る。

事故のあとに車を降りて確認しなかったこと。息子に会いたい気持ちを抑えきれず、結果的にさらに状況を悪くしてしまうこと。理屈で考えれば「なぜそんなことをするんだ」と思う行動が多いです。

でも、完全には切り捨てられない。

そこがきつい。

自分なら絶対にそんなことはしない、と言い切れないからです。曖昧で、逃げられそうで、誰も見ていないような状況になったとき、自分は本当に正しい行動を取れるのか。見ないふりをしないと言い切れるのか。責任から逃げないと言えるのか。

そう考えると、かおりの弱さは他人事ではありませんでした。

もちろん、かおりの行動を肯定するつもりはありません。事故後に確認しなかったことも、息子に関わる場面で判断を誤ったことも、結果だけ見れば浅はかです。責められるべき部分はあると思います。

ただ、それでもなお、彼女の中にある弱さは、自分とまったく無関係なものではない。

この作品が突きつけてくるのは、そこだと思います。

人は、弱い。
そしてその弱さは、特別な人間だけが持っているものではない。

かおりだけではありません。周囲の人間たちも、それぞれに弱さを抱えています。責任から逃げる人。都合のいいときだけ他人に寄りかかる人。自分を守るために、他人を傷つける人。そういう人たちが何度も出てきます。

読んでいて、正直かなり嫌な気持ちになりました。

ただ、それは作品が雑に不快な人物を並べているからではありません。むしろ逆です。人間の弱さの種類を、かなり丁寧に描いているからこそ、嫌な気持ちになる。

しかも、その弱さのいくつかには心当たりがあります。

ズルしたい。
見ないふりをしたい。
面倒な責任から逃げたい。
自分だけは悪くないことにしたい。

そういう感情は、自分の中にも普通にあります。

だから本作を読んでいると、登場人物を眺めているというより、自分の中の嫌な部分を見せられているような感覚がありました。これはかなりしんどいです。

私は、できれば自分の生き方に自信を持って生きていきたいと思っています。自分で選び、自分で責任を取り、自分の足で立っている感覚を大事にしたい。だからこそ、この作品のように、人間の弱さや逃げを正面から突きつけてくる話はかなり重く感じました。

読後感としては、決して爽やかではありません。

ラストには少しだけ救いがあります。そこは確かに良かったです。ただ、全体としてはかなり消耗しました。今の私が求めていた読書体験ではなかった、というのが正直なところです。

ただし、それは作品の出来が悪いという意味ではありません。

むしろ、ここまでしんどく感じたのは、本作がちゃんと人間の弱さを描いていたからだと思います。読んでいて気が滅入る。けれど、何も残らないわけではない。自分の中の価値観や、嫌悪する弱さ、認めたくない弱さまで見えてくる。

そういう意味では、かなり強い作品でした。

3. かおりは浅はかかもしれない。でも他人事ではなかった

主人公のかおりについては、読んでいて何度も「いや、それはダメだろ」と思いました。

事故のあと、車の外に出て確認しなかったこと。
息子に会いたい気持ちを抑えきれず、こっそり会いに行こうとすること。
その結果、さらに自分の立場を悪くしてしまうこと。

理屈で考えれば、かおりの行動はかなり浅はかだと思います。

前科がある人間としてどう振る舞うべきか。息子に会いたい気持ちがあっても、何をすればさらに状況が悪化するのか。そのあたりを冷静に考えれば、踏みとどまるべき場面はいくつもあります。

でも、かおりは踏みとどまれない。

ここが本作のきついところです。

かおりは、常にいい加減に生きている人間ではありません。むしろ、出所後の彼女はかなり真面目に生きようとしています。働く。耐える。過去を抱える。息子のことを思い続ける。

普段は持ちこたえている。

ただ、事故と息子のことになると、理性のネジがゆるむ。

この描き方がかなり生々しいです。

人間って、全部が壊れているわけではない。普段は普通に生活できるし、真面目に働くこともできる。周囲から見れば、そこまでおかしな人間には見えないかもしれない。

でも、自分の中のいちばん弱い部分に触れた瞬間、判断が崩れる。

かおりの場合、それが息子であり、過去の事故だったのだと思います。

特に、母親としての情があるからこそ、かおりの行動は単純に切り捨てにくいです。息子に会いたい。一目だけでも見たい。親としてそう思うこと自体は、理解できます。

ただ、その情が正しい行動に繋がるとは限りません。

むしろ本作では、かおりの母親としての情が、かえって彼女を危うい方向へ走らせます。本人としては息子を思っている。でも、その行動は息子のためにも、自分のためにもならない。

気持ちは分かる。
でも、やっていることはアウト。

このズレが本当にしんどい。

かおりの行動を見ていると、「感情があること」と「正しい行動ができること」はまったく別なのだと感じます。強い思いがあるから正しいわけではない。愛情があるから許されるわけでもない。

むしろ、強い感情があるからこそ、人は判断を誤る。

ただ、ここで終わらないのが本作の嫌なところであり、良いところでもあります。

かおりを「浅はかな人間」として切り捨てるのは簡単です。実際、浅はかだと思います。もっと冷静に考えろよ、と言いたくなる場面も多い。

でも、読んでいるうちに、だんだん他人事ではなくなってくる。

自分なら絶対に同じようなことをしないだろうか。

そう問われると、正直あまり自信がありません。

もちろん、かおりと同じことをするという意味ではありません。けれど、曖昧な状況で確認を怠ること。面倒な責任から逃げること。自分に都合のいい解釈をして、見ないふりをすること。

そういう類の弱さなら、自分の中にも普通にあります。

たとえば、「今ならごまかせるかもしれない」と思う場面。
「ここで確認すると面倒なことになるから、見なかったことにしよう」と思う瞬間。
「自分だけが悪いわけではない」と、責任を薄めたくなる気持ち。

そういうものは、かなり身に覚えがあります。

だから、かおりを完全に遠い存在として眺めることができませんでした。

かおりの浅はかさは、極端な形で描かれています。けれど、その根っこにあるものは、誰の中にもありうる弱さです。

見ないふりをする。
確認しない。
都合よく解釈する。
感情に引っ張られて、長期的には悪い方向へ進む。

これらは、特殊な犯罪者だけの問題ではありません。普通に生きている人間にも起こりうることです。

その意味で、かおりは「自分とは違う愚かな人」ではなく、「自分も少し間違えばこうなったかもしれない人」として描かれていたように思います。

もちろん、だからといって彼女の行動が免罪されるわけではありません。

ここは大事です。

理解できることと、許されることは違います。
共感できる部分があることと、責任が消えることも違います。

かおりには、責められるべき部分があります。事故後に確認しなかったことも、息子に関わる場面で自分の感情を優先してしまったことも、決して軽いものではありません。

でも、それでもなお、彼女を単なる愚か者として切り捨てることはできない。

この作品は、その微妙なところをずっと描いているのだと思います。

人は浅はかになる。
弱さに負ける。
感情に引っ張られる。
そして、その一瞬のズレが人生を大きく変えてしまう。

かおりは、その怖さをかなり強烈に見せてくる主人公でした。

だから私は、かおりに全面的に共感したわけではありません。むしろ、読んでいて腹が立つ場面もありました。

でも同時に、完全には否定できなかった。

そこが一番しんどかったです。

4. 人の弱さにはいろいろな形がある

本作で描かれる弱さは、かおりだけのものではありません。

むしろ、かおりの周囲にいる人たちを含めて、いろいろな種類の弱さが描かれている作品だと思います。

かおりの弱さは、分かりやすく言えば「見ないふり」と「感情に引っ張られること」です。事故のあとに確認しなかったこともそうですし、息子に会いたい気持ちを抑えきれないところもそうです。自分の中の強い感情や恐怖に負けて、結果的に悪い方向へ進んでしまう。

これはかなり浅はかです。
でも、まだ理解できる部分もあります。

一方で、私がかなり嫌悪感を持った弱さもあります。

それは、他人に責任を押し付けて逃げる弱さです。

特に印象に残ったのは、かおりの元夫です。

事故当時、元夫は助手席で眠っていたため、轢き逃げの責任を問われなかったことになっています。しかし物語の終盤では、実は起きていて意識があったのではないか、つまり、かおり一人に責任を背負わせて逃げていたのではないか、と思わせる描写があります。

ここは、読んでいてかなり強い感情が動きました。

もちろん、元夫がそのことを明確に認めるわけではありません。はっきりと告白する場面があるわけでもない。けれど、否定もしない。話をはぐらかす。

だからこそ、読者としては「こいつ、黒じゃね?」と感じる。

この場面は、かおりに共感して読んできた読者にとって、軽いカタルシスになる部分でもあると思います。ずっとかおり一人が背負ってきたものに対して、「本当にそれは彼女一人だけの責任だったのか」と揺さぶりがかかるからです。

ただし、ここで大事なのは、元夫が実際にどこまで悪かったかを法廷での裁きのように確定することではありません。

重要なのは、そう読めるように描かれていることです。

かおり一人だけに責任が固定されていた物語の終盤で、元夫の卑怯さがにじむ。これによって、読者の中に少しだけ感情の逃げ場が生まれる。少なくとも私はそう読みました。

そして、この元夫の弱さは、かおりの弱さとは質が違います。

かおりは、恐怖や感情に負けて判断を誤る。
元夫は、自分に責任が及びそうなことを分かっていて、他人に背負わせて逃げる。

前者も悪い。
でも後者は、私にとってかなり嫌悪感が強い。

人は弱い。そこまでは分かります。
でも、自分の弱さの後始末を他人に押し付けて逃げるのは、かなり卑怯です。

私はこのタイプの弱さがかなり嫌いなのだと思います。

同じような嫌悪感は、かおりの通帳から金を盗んで逃げた斉藤さんにもありました。かおりが必死に働いて貯めてきたお金を盗み、そのまま姿を消す。これはもう、かなり露骨な「他人を食い物にして逃げる弱さ」です。

弱いから仕方ない、では済ませたくない。

弱さにも種類があります。

追い詰められて判断を誤る弱さ。
自分の感情を抑えきれない弱さ。
見ないふりをしてしまう弱さ。
他人に寄りかかりすぎる弱さ。
そして、他人に責任や損害を押し付けて逃げる弱さ。

本作は、その違いをかなり嫌な形で見せてきます。

しかも、その弱さは分かりやすい悪人だけに割り振られているわけではありません。どの人物も、完全な怪物として出てくるわけではない。普通の顔をして、普通に生活していて、でもある場面で卑怯になったり、依存的になったり、逃げたりする。

そこが怖い。

「こいつは最初から悪人だった」と切り捨てられれば楽です。
でも、そうではない。

状況次第で、人は簡単に卑怯になる。
自分を守るために、誰かを犠牲にする。
都合の悪いことを見ないふりする。
そして、それを自分の中で正当化する。

そういう人間の嫌な部分が、何度も出てきます。

本作を読んでいて気が滅入った理由の一つは、ここにあります。

かおりの人生がつらいから、というだけではありません。
周囲の人たちの弱さまで含めて、かなり生々しかったからです。

そして、その中には自分にも心当たりがある弱さがありました。

見ないふりをしたい。
面倒な責任から逃げたい。
自分だけは悪くないことにしたい。

そういう感情は、正直あります。

一方で、どうしても受け入れがたい弱さもありました。

人に責任を押し付けて逃げること。
他人の努力や蓄えを奪って、自分だけ逃げること。
相手を都合よく使って、自分の弱さを処理しようとすること。

ここにはかなり強い嫌悪感がありました。

この作品を読んで、自分の中の線引きも少し見えた気がします。

私は、自分の弱さをまったく否定できる人間ではありません。むしろ、曖昧な状況なら責任逃れをしたくなることもあると思います。見ないふりをしたい場面もある。ズルしたいと思うこともある。

でも、それでも「他人に押し付けて逃げる」のは嫌だ。

そこは、自分の中でかなり強い拒否感がある。

本作は、そういう自分の価値観まで引きずり出してくる作品でした。

だからこそ、合わなかったのだと思います。

人の弱さをここまで見せられると、かなりしんどい。しかも、その弱さのいくつかは自分にもありうるし、いくつかは自分が強く嫌悪するものでもある。

そりゃ、読んでいて疲れるよな、と。

ただ、その疲れは、作品が雑だったから生まれたものではありません。
むしろ、人の弱さをいろいろな角度から描いていたからこそ生まれた疲れでした。

5. 救いになる人たちもちゃんと描かれていた

ここまで人の弱さについて書いてきましたが、本作は嫌な人間ばかりが出てくる小説ではありません。

むしろ、良い人はかなり良いです。

その代表が、久住呂百合(くずみろ ゆり)です。

久住呂さんは、かおりの息子の友達の母親として登場する人物です。目の前で困っている人を放っておけない人なのですが、ただのお人好しではありません。相手の事情を見て、周囲の状況も見て、そのうえで必要な手助けをする。

ここがかなり良かったです。

親切だけど、押し付けがましくない。
情はあるけど、感情だけで突っ走らない。
理屈は通っているけれど、相手を冷たく切り捨てるわけでもない。

私は久住呂さんが出てくる場面がかなり好きでした。

かおりに対しても、ただ優しい言葉をかけるだけではありません。必要なことはちゃんと伝える。けれど、相手を追い詰める言い方はしない。かおり自身が分かるように、少しずつ導いていく。

良い人であり、賢い人でもある。

本作の中では、かなり貴重な存在でした。

福岡でかおりと深く関わることになる土居さんも、かなり印象に残りました。

土居さんは、かおりに好意を持っている人物ですが、その態度が一貫して穏やかです。距離の詰め方が強引すぎない。相手を急かさない。自分の気持ちを押し付けない。

この人が出てくることで、物語の空気が少し変わります。かおりの人生はずっと重いし、過去が消えるわけでもありません。それでも、土居さんのような人が近くにいることで、少しだけ息ができるようになる。

タイトルの『熟柿』も、土居さんの振る舞いや言葉とつながって回収されます。

正直、そこは少し唐突で強引に感じる部分もありました。けれど、作品全体の流れを考えると、土居さんが担っている役割はかなり大きいと思います。

熟すまで待つ。
無理に急がせない。
相手が変わることを押し付けない。

土居さんの存在は、そういう価値観を物語の中に置く役割を果たしていたように感じました。

そして、福岡の職場で出会う百崎さんも、終盤の救いを支える人物の一人です。

百崎さんは、年下の同僚として登場します。介護の資格を取るために専門学校に通いながら、職場の制度を使って研修も受けている。エネルギーがあって、明るくて、前に進んでいる人です。

重い過去を抱えているかおりにとって、百崎さんのような人の存在は大きかったと思います。

劇的に救ってくれるわけではありません。
人生を一発で変えてくれるわけでもない。

でも、同じ職場にいて、普通に働いて、前向きに生活している人がいる。そういう人と関わることで、かおりの中にも少しずつ生活の手触りが戻っていく。

この「少しずつ」が大事なのだと思います。

本作の救いは、派手ではありません。

すべてが許されるわけではない。
過去が消えるわけでもない。
息子との関係が都合よく修復されるわけでもない。

でも、かおりが福岡で根を下ろしていくような感覚はあります。

それは、久住呂さんや土居さん、百崎さんのような人たちとの出会いがあったからです。

この作品は、人の弱さをかなり容赦なく描いています。けれど同時に、人との関わりが人を少しだけ前に進めることも描いている。

そのバランスは、かなりよくできていると思います。

ただ、ここが私にとっては少し距離を感じる部分でもありました。

私はたぶん、人との出会いに救われるという感覚がそこまで強いタイプではありません。

もちろん、誰かに助けられたことがまったくないとは言いません。人との関わりを否定するつもりもありません。社会の中で、ゆるくつながりながら生きている人たちを下に見ているわけでもありません。

ただ、私自身の感覚としては、最終的にどうにかするのは自分の力だ、という思いがかなり強いです。

過去を振り返っても、何かを立て直すとき、最後は自分で考えて、自分で決めて、自分で動くしかなかったという感覚があります。今もかなりそうです。

だから本作の終盤にある、人との出会いによって少しずつ救われていく感じには、全面的には乗れませんでした。

理解はできます。
作品として必要だったことも分かります。
実際、そのおかげで読後にほんの少し救いが残ったのも確かです。

でも、自分の感覚とは少し違う。

ここもまた、本作が「良作だけど合わなかった」と感じた理由の一つだと思います。

この作品の救いは、他人がすべてを解決してくれるというものではありません。そこまで安っぽくはないです。

むしろ、一人では持ちこたえきれない時間を、他者との関わりが少しだけ支える。そういう救い方です。

その描き方は良いと思います。

ただ、私はその救い方に強く共感するタイプではなかった。

だから、終盤で少し救われた感覚はありつつも、「よかった」と素直に浸ることはできませんでした。

それでも、久住呂さん、土居さん、百崎さんのような人物がいたことで、作品全体がただの重苦しい話では終わらなかったのは間違いありません。

世の中には一人で抱えきれないものもある。
そして、そういう時に人とのつながりによって救われる人もいる。

人は弱い。
でも、弱い人ばかりではない。
誰かを食い物にする人もいれば、誰かを急かさず待てる人もいる。
責任から逃げる人もいれば、目の前の人を見捨てない人もいる。

本作は、その両方を描いていました。

だからこそ、合わなかったけれど、良作だと思えたのだと思います。

6. 「好みではないが、良作」と感じた理由

ここまで書いてきた通り、本作『熟柿』はかなりよくできた作品だと思います。

かおりという主人公の描き方。
周囲の人物たちが持つ弱さ。
終盤に置かれたわずかな救い。
タイトルの回収。
どれも雑ではありません。

読んでいて、作者が人間の弱さをかなり丁寧に見ていることは伝わってきました。

ただ、それでも私には合いませんでした。

これはもう、作品の出来とは別の話です。

本作は、人間の弱さをかなり正面から描いています。しかも、それを分かりやすい悪人の話として処理してくれません。かおりも、元夫も、斉藤さんも、周囲の人たちも、それぞれ違う形で弱い。

見ないふりをする弱さ。
責任から逃げる弱さ。
誰かに寄りかかる弱さ。
他人を食い物にする弱さ。
自分の感情を抑えきれない弱さ。

そういうものが何度も出てきます。

そして、そのいくつかは、自分にも心当たりがあります。

ここが一番しんどかったです。

私は、自分の生き方に自信を持っていたいという気持ちがかなり強いです。自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を取る。そういう生き方をしたいと思っています。

もちろん、実際にそれが完璧にできているわけではありません。

むしろ、曖昧な状況なら責任逃れをしたくなることもあると思います。見ないふりをしたくなることもある。ズルしたいと思うこともある。

だからこそ、本作のように人間の弱さを正面から見せてくる作品は、かなりきつい。

「自分は絶対に違う」と言い切れないからです。

かおりの浅はかさを見てもやもやする。
元夫の卑怯さを見て嫌悪感を覚える。
斉藤さんの行動に反吐が出る。

でも、その一方で、人間は少し間違えばこうなるのかもしれない、とも思う。

この揺れが重かったです。

もっと単純に「こいつらはダメな人間だ」と切り捨てられる作品なら、ここまで消耗しなかったと思います。でも本作は、そういう逃げ方をさせてくれません。

人は簡単に卑怯になれる。
見ないふりもできる。
自分の都合のいいように物事を解釈できる。
他人に責任を押し付けることもできる。

その嫌な現実を、かなり生々しく見せてきます。

だから、キツかった。

ただし、自分の好みに合わなかったからといって、悪い作品だとは思いません。

むしろ逆です。

合わなかった理由をここまで言語化できる時点で、かなり強い作品だったのだと思います。何も刺さらない作品なら、ここまで考えません。ただ退屈だった、つまらなかった、で終わります。

本作は違いました。

読んでいて気が滅入った。
人間の弱さにうんざりした。
自分の中の嫌な部分も少し見えた。
でも、だからこそ考えることが多かった。

これは、良作だから起きたことだと思います。

私にとって本作は、手放しに楽しいと言える読書ではありませんでした。多分、ページを閉じたあとに爽やかな気持ちになる作品でもありません。

むしろ、かなり消耗しました。

ただ、その消耗には確かに意味がありました。

自分がどういう弱さを嫌うのか。
どこまでなら理解できて、どこから先に強い嫌悪感を持つのか。
自分はどんな救いの描かれ方に共感しにくいのか。
自分がどう生きたいと思っているのか。

そういうことが少し見えたからです。

だから、私の結論はかなりはっきりしています。

『熟柿』は良作です。

作品として優れていることと、自分の好みに合うことは別です。
よくできた作品でも、読んでいてしんどいものはあります。
理解できる作品でも、好きになれるとは限りません。

むしろ、そう分けて考えられたこと自体が、今回の読書で得たものだったのかもしれません。

合わなかった。
されど良作だった。

本作については、私はこの言い方が一番しっくりくるのです。

7. 合わなかったからこそ、自分の価値観が見えた

本作を読み終えて改めて思うのは、「合わなかった」という感想にも価値があるということです。

そのことについて、改めてこの章で整理しておきます。

まず、本書を読んでいて、かなり消耗しました。

でも、その消耗の理由を考えていくと、自分の価値観がかなり見えてきました。

私は、人間の弱さそのものを完全に否定したいわけではありません。自分の中にも弱さはあります。見ないふりをしたくなることもあるし、面倒な責任から逃げたくなることもある。ズルしたいと思う瞬間もある。

そこは、きれいごとを言えません。

ただ、その弱さを他人に押し付けて逃げることには、かなり強い嫌悪感があります。

自分が負うべきものを他人に背負わせる。
人の努力や蓄えを奪って、自分だけ逃げる。
都合のいいときだけ相手に寄りかかり、自分の弱さを処理しようとする。

私は、そういう弱さがかなり嫌いなのだと思います。

かおりの弱さには、もやもやさせられながらも理解できる部分がありました。けれど、かおりの元夫や斉藤さんのような弱さには、かなり強い拒否感がありました。

また、自分がどんな救いに共感しやすいのか、あるいは共感しにくいのかも見えました。

本作には、人との出会いによる救いがあります。久住呂さん、土居さん、百崎さんのような人たちが、かおりの人生に少しずつ光を入れていく。派手ではないけれど、確かに救いとして機能している描き方でした。

そこは作品として良いと思います。

ただ、私はその救い方に全面的には乗れませんでした。

私自身は、最終的には自分で考えて、自分で選んで、自分でどうにかするという感覚がかなり強いです。人とのつながりを否定するつもりはありませんが、「誰かとの出会いに救われる」という方向には、そこまで強く共感できませんでした。

これも、作品が悪いという話ではありません。

ただ、自分の生き方の重心がそこにはない、ということです。

この作品は、私にとってかなりしんどい読書でした。けれど、何も刺さらない作品に触れて後悔するよりは、ずっと良い時間だったと思います。
(私は作品というもの全般に関して「テーマがない・弱い」ということが本当に嫌いで、このことは別の記事で書いています)

なぜ合わなかったのか。
どこに嫌悪感を持ったのか。
何には共感できて、何には共感できなかったのか。
自分はどういう生き方をしたいのか。

そういうことを考えるきっかけになったからです。

誰の生き方もちょっと間違えれば、自分自身だったかもしれない。

本作を読んで、そんなことを考えました。

かおりのように、曖昧な場面で確認を怠るかもしれない。
元夫のように、責任から逃げたくなるかもしれない。
斉藤さんのように、人のものに手を伸ばすところまではいかなくても、自分の都合を優先したくなる瞬間はあるかもしれない。

もちろん、そうなりたくはありません。

でも、人は弱い。
そして、その弱さは完全に他人事ではない。

だからこそ、自分はどこで踏みとどまりたいのか。
どんな弱さを許したくないのか。
どういう生き方を選びたいのか。

そういう線引きを持っておくことは大事なのだと思います。

合わなかったからこそ、自分の価値観が見えた。
好きにはなれなかったけれど、考える材料にはなった。
その意味で、本作は私にとってかなり意味のある一冊でした。

本書はお勧めできる一冊です。
『熟柿』をamazonでチェックする。

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