「あの日、君は何をした」(まさきとしか・著)を読了。
本屋で平積みになっていたので購入した。
どんでん返しのミステリーをもとめて読み進めたのだが、正直なところ期待したほどの驚きはなかった。
読み進めながら、どんなところに伏線があるのかということを意識しながら読んでみたが、どうにもピンとこない点が多かった。
もうずいぶんとミステリーを読み慣れてしまったので、求めているものが大きくなりすぎているということは素直に認めた方が良いのかもしれない。
物語の前半部分で、ある人物の死がどっちにつながる重要なファクターとなるのが、その出来事を楽しめるのかどうかが本書に浸れるかどうかの分かれ道だと思う。
私自身の個人的な感想としては、そこに至ることができなかったのでこの本を心から楽しむことができなかったのかもしれない。
ただ、物語に出てくる人物で、推理を進めていく刑事の存在は魅力的だ。
冷たい中にもどこか人間味を感じさせるキャラクターを好きになる人も多いと思う。
この刑事を中心とした、スピンオフを読んでみたいような気にさせられた。
タイトルになっている「あの日、君は何をした」という言葉は、物語の中に出てくる人物たちが共通して抱いている言葉なのだと思う。
前半部分と後半部分のつながりに気づいた瞬間は、一瞬ワクワクするが、大きな爆発力はないと思う。
本書を通じて読み取ったのは、母と子のつながりの複雑さである。
単純なミステリーを書くだけならば、もっと別の題材にしてもよかったのかもしれないと思う。
人間関係のつながりというところを深く掘り下げていくと、ミステリーという題材を基盤にして母子のつながりの難しさというものが根幹に眠っているように思う。
同著者の他の作品も読んでみると分かるかもしれない。
巻末の書評には同じような感想が書かれていて驚いた。
本来読書というものは、そこに期待していたものよりも読んだ後にそこから何を拾い上げるかという営みにこそ本質があるような気もする。
父とのつながりについては、重松清と言う作家が非常に精巧に描いているイメージだ。
本書の著者・まさきとしかは、母子のつながりを描き出す作家というポジションを獲得しているのかもしれない。
そういった意味では、今回も良い作家に出会えたというのが素直な感想だ。
もっとも重松清の作品も私はすべて好きだと言うわけではない。
「木曜日の子供」などのような残虐なシーンを描く作品もあったので、私の感覚になじまないというだけで、その作家を切り捨ててしまうのもったいないように思う。
他にも多くの作品があるようなので、ぜひ今後もこの作家の作品を手に取ってみたい。
この作品の中で、私が最も興味深いと思ったのは、物語に登場する人物の内面に眠る暗さである。
場面が展開することに様々な人物の内面が描かれるのだが、どの人物も総じて暗い。
後ろ向きなことを考えたり、良いこともネガティブに解釈しようとする心の中が、ありありと描かれていて、今の私にはあまり共感できないと同時に、以前はこのようなことをよく考えてたらかもしれないと言う気持ちになった。
こういったキャラクターにたくさん触れると、今の自分自身がどれだけ前向きな考え方をしているのかということがよくわかる。
読書から本当に様々な学びがある。
人物の内面に触れることで、今の自分自身がどれだけ共感できるのか、あるいはどれだけ共感できないのかということを知るチャンスにもなる。
最も共感できたのは最後の2ページだった。
そこに描かれるほどの残虐さに共感したというわけではないが、何かをやりたくなるような衝動と言うものは、今まさに、いやこれまでもずっと自分の中にあったのかもしれないと改めて実感した。
この物語の登場人物の誰に最も共感できたのかということについて、人と感想を交わしてみたい。
母親が子に執着すると言う状態を、私には理解ができない角度から描いている。
結局、相手が自分のことをどう思っているかは、決して分かりはしないのだ。
それよりも自分自身の解釈を大切にしたい。
誰かから教わった解釈ではなく、本当に心のそこから相手のことを信じていれば、誰かの言葉に惑わされることもなく、この物語に出てくる母親が苦しむこともなかっただろう。
自分自身への信頼が、何よりも大切なのだということを、この本を教えてくれている。
単純なミステリーの枠にとどまらない本書。
本当は信頼しあえるのかもしれないということに注目して、これからの人との関わりを考えていきたい。