どうも、よだかです。
今回紹介するのは、養老孟司さんの「バカの壁」です。
あなたは自分がバカではないと言えますか?
筆者は解剖学者としての視点から、思考の落とし穴に鋭く切り込んでいます。
日本人がろくにものを考えなくなったのは「一元論」の流布に原因があると説く本書。
本書が書かれたのは2003年ですが、いまだに古びない普遍的な考え方を授けてくれます。
発刊から約20年経った今でも、充分通ずる内容になっているのは、さすが養老孟司先生です!
年末のKindle Unlimitedのセールでまとめ買いしたら、面白くて一気に読んでしまいました。
考え事のヒントや新たな気づきが盛りだくさんで、もっと早くから読んでおけば良かった、、、!
「鉄は熱いうちに打て!」ということで、本書の感想を記録しておきます。
養老孟司を10冊読もう企画の記念すべき1冊目!
人は変わるが、情報は変わらない
変化の激しい時代と言われていますが、実際に変わっているのは何なのでしょうか?
著者は「変わるのは生き物の方だ」と言います。
私たち生き物は、常に細胞が生まれ変わっています。
一定周期で体の組織は入れ替わっていて、そういう意味では昨日の自分と今日の自分は違うはずです。
現実の世界に対して、変化し続けているのは私たちの方ですね。
一方、情報はそれ自体が変化しているわけではありません。
目の前で起こっていることやこの世のどこかで起こっていることは、単なる事実・現象に過ぎません。
それを受け取る私たちの解釈が、その情報が変化していると認識しているということになります。
今の自分を昨日の自分と同じだと認識させているのは、脳がそう思い込んでいるからです。
そう思い込まなければ、自我と環境の境目が曖昧になってしまいますね。
私たちが忘れているもの
著者は、現代人は身体、無意識、共同体を意識しなくなったと言います。
身体性とは、体にまつわる諸々の感覚のこと。
「やってみて分かる」ことというものがたくさんありますが、まさにそれです。
情報だけを受け取って、あたかもそれが自分にとっての真実であるかのように考えている人が多過ぎます。
情報過多に陥ってる現代では、その傾向はますます加速しています。
調べれば何でも分かる時代ではありますが、その情報を提供しているのはあくまで他人。
自分が実際に体験して得たものではありません。
多くの人が言っていることを事実であるかのように思い込んだり、大多数の意見に流されたり、そもそも考える前提を疑っていなかったりするところに大きな問題があるのです。
大学で講義をしているときに、1限目から眠っている学生を見て、学びの本質が失われていることを残念に思っているようです。
学びは出力が伴ってこそ、初めてその真価を発揮します。
「知行合一」という言葉が表すように、知識と行動は繋がっているべきものです。
知識だけを得て、分かった気になってるのではダメなのです。
常識を知識の集積だと勘違いしていてはいけません。
自分の考えることの前提を疑ってみることは、自分自身を手放すことにつながりますが、それでも自分が本当の意味で考えているかどうかを「自分自身に問いかける」きっかけにくらいにはなりそうです。
マルチタスクは可能か?
脳内の別々の部分を使い分けるエピソードが興味深かったです。
あなたは人とおしゃべりをしながら、同時に数を数えることはできますか?
実は、会話に気を取られずに、確実に数を数える方法があるのです。
それは「頭の中で日めくりカレンダーをめくること」!
この話が出てきたときに、マルチタスクの可能性について考えさせられました。
私自身は、マルチタスクは非常に苦手です。
ほぼ無理と言っても良いかもしれません。
このエピソードが示唆しているのは、同じことをしていても人によって使う脳の領域が全く異なる場合があるということです。
特定の情報処理を脳のどの部分で行なっているのか?。
そろばんを習っていた人は、頭の中にそろばんが出てくるでしょうし、そうでなかった人はまた別の概念で計算しようとするでしょう。
要は、脳のどの部分を使っているかで、情報処理のスピードや質は大きく変わってくるということです。
そして、どの部分を使って処理をしているかを変えることができる人がいるというのも興味深い指摘でした。
本書の中では、キュビズムを編み出したピカソが例に挙げられています。
彼の編み出した「物体を様々な面から見た構図を一箇所から見た視点にまとめる」という方法が、普通の人でまず思いついません。
認知の方法そのものを変えることができる稀有な手法がピカソにはできたのです。
私たちの考える手法においても、視点を変えて出力する方法を変えてみるということにおいて、その土台を疑うきっかけにできるのではないかと感じます。
学者と政治家
学者は「人の利口さ」を追いかけます。
それに対して、政治家は「人のバカさ」を見切ります。
この件は特に深く共感しました。
人をもののように捉えながらも、その可能性を信じるのが学者。
それゆえに、人の独立・自立を目指す方向でアプローチしていくのが学者の仕事です。
見ているものは同じなのだけれど、組織の構成要素として捉えるのが政治家。
国を維持するために、組織の一員としての教育を施すのが政治家の仕事です。
ですから、「国が行う教育」というものはある種の矛盾を孕んでいるのです。
それは「個性を大切にせよ」と言いながら「個性を押さえつける」ことです。
国を維持するためのパーツになって欲しいと考えているのに、それぞれが個性を大切にするということは矛盾していますね。
求められる個性とは「政治家が想定した、あらかじめデザインされた個性」なのです。
これは、今も教育にも通ずることですね。
人を育てるということと、大きな組織を作るということは本質的な部分では矛盾するのです。
それぞれの個性を認めて、好き勝手に動かれては組織は崩壊します。
やはりある程度まとまって動いてくれた方が、組織としては機能しやすいのです。
日本人は、元来曖昧なものを曖昧なまま受け止める感性を持っていました。
ところが、西洋思想的な一元論の導入によって、それが薄れてきてしまっているのです。
もともと持っていた日本人ならではの感性を手放してまで、何かをはっきり決める必要があるのでしょうか?
個性をはっきりさせるということにおいても、同じことが言えます。
暗黙のルールのもとで、物事を処理してくだけの裁量が日本の歴史の中にはありました。
そこには、共同体としてのつながりが意識されていたからこそ、わざわざ明文化しなくてもみんなが納得していたのです。
西洋的な一元論の導入によって、誰が見ても解釈のはっきりしたことこそが正義であるかのように扱われるようになりました。
これによって、曖昧なままにしておくことを我慢できない風土が形成されることになりました。
そもそも全ての物事をはっきりさせなければならないのでしょうか?
曖昧なことを曖昧なままで置いておくことができれば、楽になることがたくさんあると感じます。
物事を捉える私たちの常識は、どこから来ているのか?
はっきりさせるだけが現実の認識の仕方ではないし、そもそも事実と思われることだって事実じゃない可能性があるということは、よく覚えておきたいものです。
武器の進化に見るもの
武器は進化する度に、威力の拡大と長距離化に磨きをかけてきました。
今や世界中どこにいても、核弾道ミサイルの射程圏内にいるという事実は否定できないでしょう。
(もっとも、それを使用する可能性はものすごく低いと思われますが、、、)
ここで大切なのは、武器の進化の歴史を見ても、身体性が失われている事が分かるという点です。
初めは、近くにいる相手に直接攻撃を加えるものが武器でした。
そして、徐々に槍や弓、投石器などの離れた場所にいる相手にも攻撃できるような武器が現れます。
その後、銃やミサイル、その他化学兵器などの開発が進んだというのが近代〜現代への流れです。
これらの武器の進化を見ると、傷付ける相手が目の前からいなくなっていることが分かります。
身体性を失うことで、より一層相手の傷付ける威力や規模が拡大していっているのです。
現代における兵器とは、ドローンの兵隊やネットワーク上のサイバー攻撃です。
そこには、身体性というものはほとんどありません。
ロボット兵器はほぼ自動で攻撃を繰り返しますし、サイバー攻撃に至っては命そのものを育む生活と経済の基盤を破壊していきます。
サイバースペースでの陣取り合戦は、もっと進んでいるかもしれません。
そもそも、生身の人間には認識できない空間での争いは、見えない棒で殴られているのにも等しい行為です。
それを攻撃と認識できないことすらあるかもしれません。
さらには認識していても、それを回避する術すらなく、ただ殴られ放題になっている可能性もあります。
お金の世界についても、同じことが言えます。
お金の起源は、トークンによる交換価値から発生したものだという研究があります。
そこには、物と物との交換価値をお互いが信用するという交換価値が保証されていました。
現在の経済を見るに、ネット上での取引が急激に加速し、実体のない経済圏が形成されています。
ネットの上のデータに信頼が集まり、それらが経済の実体を保っているなんともおかしな状況です。
(それをカバーするためのヒントがブロックチェーンだったりするのですが、、、)
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いずれにせよ、情報化が加速する中で、私たちが取り戻すべきは身体性です。
自分自身でとにかくやってみること。
そんなことにして何になるの?と問われることにこそ価値があるのです。
「やってみれば分かる」
「人生は崖のぼり」
苦しいことから離れて、落ちていくのは簡単です。
けれども、そこに自分自身の充実した人生はあるのでしょうか?
バカの壁を突破するためにできることは、自分の土台を疑うクセをつけること。
自分が成長し続けられる選択を繰り返して生きていきたいものです。
自分が死ぬときに、崖を登り続けた人生であったと振り返ることができたら素敵だと思います。
まとめ
最後まで読んでくださってありがとうございます。
前から気になっていた1冊でしたが、読んでみると思考が回る回る!
脳をハックされないために、身体性を取り戻すという観点は、現代にこそ必要な考え方だと思います。
読んだ人の思考をしっかりと掻き回してくれる素晴らしい1冊!
時間を作って読んでみて欲しいです!
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