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【感想・まとめ】森が呼ぶ【宇津木健太郎】

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こんにちは、よだかです。

宇津木健太郎さんの「森が呼ぶ」を読了したので、感想をまとめていきます。

国内最大級の小説投稿サイト"エブリスタ"と"竹書房"による「第2回最恐小説大賞」長編部門にて”大賞”を受賞した作品です。

ホラー、離れ里、宗教、虫、伝承、、、。

和風なホラー要素をふんだんに盛り込んだ小説で、後味の悪い読み心地が本作品の魅力です。

特に中盤からの加速感が凄まじく、不気味な雰囲気が一気に高まる展開をたっぷりと楽しみました。

物語のエンディングには賛否ありそうですが、私自身は好きな終わり方でした。

「気持ち悪い和風ホラー」を味わいたい人は一読の価値ありです!

あらすじ

大学院生として日々研究に取り組む「」のもとに、友人の「阿字 蓮華(あじ れんげ)」から連絡が入ります。

家庭の事情で大学を辞めて故郷に戻った蓮華は、故郷の村での生活に疲れを感じており、「私」に会いたいとのことでした。

蓮華の故郷は、奉森教という土着の宗教が根付く「犬啼村」。

大学で昆虫の研究に勤しむ「私」は、フィールドワークも兼ねて「犬啼村」を訪れます。

再会を喜ぶ「私」と蓮華でしたが、村祭りの最中、不気味な事件に遭遇し村に隠された恐ろしい秘密を知ってしまうことに、、、。

ホラーと宗教・信仰

本作品の魅力の一つは「宗教・信仰の設定」です。

「犬啼村」での信仰は、設定がリアルで「本当にありそう」と感じさせられます。それがエンディングへの不気味さを一層加速させてくれる要素になっていて、中盤からは一気に読み終えてしまいました。

多くのホラー作品でテーマとなるのが「宗教・信仰」です。

それらは土地の神を祀っていたり、畏怖の対象として触れてはいけない存在を匂わせたりと、様々な形で物語に登場します。

本作にも「犬(狼)」を対象とした土着信仰が登場します。「犬啼村」では過去に村を災厄から救ってくれて神の使いとして「狼」を祀っています。

信仰の対象として動物を設定するのは、比較的メジャーな路線だと感じます。有名なところでは稲荷信仰などが挙げられますね。

信仰の対象や人々の風習が世間の一般的な認知とずれていればいるほど、その不気味さは色濃くなるものです。一部の社会で常識とされているものが、別の社会では非常識となることは誰しも頭では理解できていることでしょう。

では、理解できているのに”不気味さ”を感じてしまうのは何故なのでしょうか?

それは、無意識に信じていることのギャップが理解できないからです。

物事を観測・理解するのにはその土台となる”思い込み”が必要です。何もないまっさらな状態では、まともに物事を認識することすらできません。

宗教・信仰の土台となっているのは人々の”思い込み”です。根拠のないものを信じることができるのが人間の強みです。信仰が力を持つのは一定の生活圏内において人々がそれを信じているからなのです。つまり、信じられているからこそ、それらは「宗教・信仰」足り得るのです。

よって、信仰を持たない側の人から見ると、信仰を持っている人を理解できない存在として本能的に感じ取ってしまうという構造が生まれます。

何かと信じることで、人間同士の関係に溝が生まれるという構造は、自然なことなのかもしれませんが同時に皮肉も感じます。

コミュニティを維持するために生まれたシステムが、同種間を分断させてしまうのですから、、、。

虫と人

多くの人に生理的な嫌悪感を呼び起こすであろう「虫」。本作では「」がテーマの一つです。

私自身もクモやムカデなどの足の多い虫が苦手です。何本もの足が不規則に動いている様子に思わず目を背けたくなってしまいます。

本能に従って行動しているとされる「虫」。一説には、地球上で最も多くの種が反映しているのが虫なのだそうです。

虫がその気になれば、人間の生活圏をあっという間に破壊してしまうこともできるのかもしれませんね。

実際、昆虫による作物の被害は深刻なレベルで発生しており、人間の生存本能にダイレクトに訴えかけるだけの恐怖を与えてきます。

本能のままに人間の生活圏を脅かす可能性を「虫」達は漂わせているのです。

(「蝗害」:バッタによる作物被害について知るには、前野ウルド浩太郎氏の「バッタを倒しにアフリカへ」がおすすめです!)

また、虫による根源的な恐怖を感じさせる点においては、エドワード・ゴーリーの「蟲の神」にも通ずるものがあります。

「蟲の神」では子供が蟲の生贄に捧げられることを匂わせる描写があり、トラウマ級の後味の悪さを残しています。

私たちは無意識のうちに虫に脅かされる可能性を信じているのです。

個人的に興味深い気づきを得られたのは「私」が虫の生態を調査する場面でした。

主人公の「私」は、大学で「昆虫」の研究をしているため、「犬啼村」での昆虫の生態調査を行うシーンがあります。

研究対象としての虫を描くシーンは、虫への嫌悪感を感じさせません。

これだけ不気味な世界観を味わいながらも、一転して「虫」の不気味さを感じさせなかったのは、読み手自身の認識が”虫を客観的に見るモード”だったからでしょう。どの角度から見るのかということが、物事の印象を大きく変化させるのだということを改めて感じました。

不気味さの正体

本作品のもつホラーとしての不気味さは「理解できそうで理解できない」という部分にあるのだと感じます。

宗教・信仰、虫の生態、村の人々の暮らしなど、私たちと共通する部分もありながら少しずつどこかがずれている、、、。

けれどもその”少し”をはっきりと言語化できないもどかしさ。

そこにあるのは分かっているのだけれど、どうにもはっきりしない、はっきりさせたくないという意思。

存在は理解していても、本能で拒否したくなる部分。

私たちが本当に恐れるのは、言語化できない少しの違いなのです。

下手に知っている分、僅かなズレが気になってしまう、、、。

あまりにも理解の範疇から外れているものに対しては、そもそも嫌悪感すら抱きません。

私たちの日常とギリギリ繋がっている部分にこそ、不気味さは潜んでいるのです。

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございます。

久しぶりに和風テイストなホラー小説を読みました。

日本ならではの土着信仰をベースにした良作だと感じました。

とにかく不気味さを漂わせる描写が上手い!「犬啼村」の秘密が明かされていく中盤以降の展開は特に読み応えがありました!

「本当の後書き」は無いものとして読むと、より一層の不気味さを味わえる作品です。

海外ホラーでは味わえない「不気味な和風ホラー」を味わいたい方に是非とも手に取って欲しい1冊!

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