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【自分の枠の外へ行く!】レベル16 服従の少女たち【映画レビュー】

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どうも、よだかです。

あなたは、自分を客観視できていますか?

自分の枠の外に出るって、なかなか難しいですよね。

最近見た映画から、そのことを考えさせられました。

SFスリラー映画「レベル16 服従の少女たち」の感想をまとめていきます。

総合評価・あらすじ

地下施設のような場所で生活している少女たち。

彼女らの見た目は、10代前半で、廊下に1列に並んで薬(ビタミン剤?)の配給を待っています。

各々が順番に薬を支給され、監視カメラの前で薬を飲んだことを確認されているという異様な光景。

かなり厳格に管理されているようで、その様子に疑問を持つ様子も見受けられません。

ところが、薬の支給を待つ間にトラブルが発生。

薬を飲むのが遅れてしまい、カメラの前に時間内に立てなかった1人の少女。

すると、看守が現れ、少女を連れ去ってしまいます。

どうやら罰則がある様子で、他の少女たちは気の毒そうな顔で彼女を見送ります。

、、、というのが冒頭のシーンで、場面は数年後に切り替わります。

このシーンは、主人公ヴィヴィアンの回想です。

現在、ヴィヴィアンはおよそ16歳。

施設の中では、同じ年齢層の少女たちが10名程度、レベルごとにまとめられて生活をしています。

食事をしたり、健康診断を受けたり、女性としての振る舞いをビデオ教育で学んだり、、、。

どう考えてみても、異様な光景なのに、彼女たちは自分達の過ごす場所を”学校”だと思っているようです。

若干の不満を持つ人はいるものの、ここでの生活を受け入れている様子。

その違和感の正体がじわじわと明らかになってくる展開が見どころの映画です。

ここが良かった!

総合評価星4つ!(★★★★☆)

光の使い方

光の使い方が非常に上手い映画です。

地下施設であると言う舞台設定を存分に活かしています。

とにかく薄暗いシーンが多くて、物語全体の陰鬱な雰囲気をバッチリ演出しています。

地下で太陽の光がささないので、とにか希望が持てないシーンの連続。

脱出を企てる場面にも、全く希望が見出せません。

普通、この手の映画で脱出を企てる場面ってもうちょっと希望を漂わせても良いはず。

この映画は、やることなすことが八方塞がりで、何をしても無駄かもと思わせる仕掛けがたくさん散りばめられています。

薄暗い廊下や、光の少ない寝室、赤の非常灯を使う地下牢など。

そして、ラストシーンへの繋がりも光を強く意識した構成です。

なかなかのカタルシス!

オーソドックスではありますが、やはり光の在り方は、観ている人の本能にダイレクトに訴えかけてくるものがありますね。

表情

役者の表情も見どころです。

物語の核心に触れるため、ぼやかして書きますが、事情があって、少女たちは高度な教育を受けていません。

そのため、彼女たちのやりとりは、あまり深みがないのです。

人物同士の言葉の駆け引きがないのにも関わらず、映画の世界に引き込まれたのは、ひとえに彼女たちの表情にあります。

不安・恐怖・不満・諦め・憧れ・希望などのありとあらゆる感情がその表情に見事に現れていて、言葉以外の要素で訴えかけてくるシーンがほとんどを占めます。

映画の良さってこういうところにあるなぁと改めて感じました。

言葉に頼らない表現方法をたっぷり楽しめる映画です。

音楽

流れている音楽が、絶妙な量です。

多過ぎず少なすぎず、緊迫感を与えたいシーンでは、本当にそれとな〜く挿入されていて、非常にハラハラします。

逆に、普段の生活シーンでは、ほとんど音楽を使わずに会話や物音が流れています。

無駄をなくして、注目させてたい部分にしっかり惹きつける構成は見事!

特に地下牢のシーンのBGMは聞きごたえアリです!

印象に残ったシーン

少女たちが、何のために地下施設で過ごしているのかが徐々に明らかになっていく仕掛けが秀逸。

普段の会話については、問題なく行なっているのに、文字を読むのに苦労しているシーンは非常に印象的です。

自分の名前の綴りすらたどたどしい発音で読むので、少女たちが喋れるのに読めない状態であることが何となく伝わってきます。

少女たちは、この場所を”学校”だと認識させられているはずなのに、文字の読み書きは教えられていないのはなぜなのか?

一体どんな教育を受けているのか?

”レベル16”とは、少女たちの階級のようなものを示していて、適齢期になり充分な教育を完了したと判断されたら”里子”に出されるというルールが共有されています。

少女たちは、それを目指して、日々過ごしているのです。

養子として引き取られることが目標なのですが、それについての違和感はほとんど持っていません。

物語後半で、施設からの脱走を試みるシーンでは、ほとんどの少女が現状を正しく認識しようとしません。

自分達が管理されている存在であることを否定して、施設の管理者を盲目的に信じようとするシーンからは、教育の恐ろしさを感じました。

その分、現状を疑って自分の枠の外に行こうとすることが、どれほど困難なことなのかも考えさせられました。

まとめ

少女たちが、現状を疑わずに過ごしていることを外から見ている私たちは違和感を持って眺めることができます。

ところが、そうやって眺めている自分自身をさらに外側から眺めてみることは、案外できていないのではないでしょうか?

映画の展開自体は、それほど難解ではなく、勘の良い方なら物語の謎にはすぐに気づくはず。

本作品の楽しみ方は、むしろその奥にあると思います。

自分の枠の外に出ることを考えさせてくれる面白さがありました。

ぜひ一度、観てみてください。

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