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【”意識”を疑うというタブー】遺言【養老孟司】

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どうも、よだかです。

今回紹介するのは、養老孟司さんの「遺言」です。

養老孟司10冊読破企画の5冊目!

2017年に発刊された本です。

本書の冒頭から「気に入らなければ墨を塗れ」とのお言葉。

めっちゃパンチが効いてますね!

本当に墨を塗って良いのか、塗れるもんなら塗ってみろという挑戦なのか。

解釈を読者に委ねるという姿勢をこれほどまでにすっきり現した表現には初めて出会いました。

正直これまでで一番難解な内容でした。(再読したい!)

ひとまず、勢いに任せて内容と感想をまとめていきます!

仮説は思考を導く

物事の意味は何のためにあるのでしょうか?

それは、本質的には「分からない状態」にあるのだと思います。

「分からない」から「分かりたくなる」のです。

私たちは、世界を”意味”で満たそうとします

ところが、その”意味”は、ほとんどが誰かがくれたものです。

都会は人が作り出したが故に、人工的です。

”意味”を持たせたものの集合が都会です

そのあり方は、「まだ何の”意味”も持たされていない自然」と対極にあるのです。

私たちは、ただ単に世界との”差異”を知るだけで良いはずです。

本来、世界には”意味”なんて存在しなかったはずです。

後から人が勝手に”意味”をつけたのです。

その点で都会は窮屈だといえるでしょう。

新体制を切り離して、”意味”で満たした都会では、体を使って物事を理解する機会がどんどん減ってきています。

本来自然から生じた人間も、今や足元を這う虫に気づいてすらいません。

人々が木の生えた土地を指して「空き地がある」というエピソードが取り上げられていますが、そこには人間以外の命に目を向ける習慣が消え失せてしまっていることをまざまざと示してくれています。

”意識”を重視するあまり、私たちは身体感覚を忘れてしまいました。

感覚が与えてくれるものをもっと見つめてみることが必要です。

化学という手段が、人の客観性をベースに機能しているため、主体である私たち自身の個々の感じ方やあり方は、ますます失われていくばかりです。

私たちは、ひとりひとりが己の感覚を信じて、個々人の持つ仮説を大切することで思考を回していく必要があります

各々の感覚から導かれる仮説こそが、思考へつながるのです。

世界を認識しているのは、誰かの与えてくれた”意味”ではなく、それぞれの身体性なのだということを忘れてはいけません。

人だけが「イコール」を理解する

=(イコール)

何かと何かが同じであるという概念は、人だけが理解していることです。

この概念の獲得があったからこそ、人は他の生物とは違う道での進化を遂げることができたのです。

「イコール」が生んだものは「交換」です。

何かと何かを等しい価値だと信用することが、言葉、お金、そして民主主義を生み出しました。

数学の本質は「同じ」を繰り返すことです。

1+1は誰がやっても2になります。

世の中の一部を切り取って、誰がやっても同じになって、しかもそれが、誰でも分かるようにするのが数学のやっていることです。

式から導かれる答えが、回答者によって変わることはありません。

さまざまな分野において、この「交換」という概念がベースになっています

目と耳で言葉になる

見たものと聞いたこと。

この2つが重なる範囲にあるものが言葉です。

どちらかが欠けていてもいけません。

言葉は、視覚と聴覚の橋渡しをしていると言っても良いかもしれないですね。

ですが、その言葉を持ってしてもなお「意識」を定義することはできません

「意識」の構成要素が多すぎて、言葉だけでは表すことができないからです。

人の「意識」というものをしっかり考えてみたことはあるでしょうか?

そもそも「意識」はどこにあるのでしょうか?

「意識」を認識している主体はどこにあるのでしょうか?

このように「意識」を捉えようとする試みには、ゴールがないのです。

哲学者は「そうやって疑っている自分くらいは存在しているようだ」ととりあえずの答えを出したのですが、それくらいでちょうど良いのです。

しっかりと正体をとらえなくて、別に生きていけるのですから。

けれども、「しっかり考えようとしたか」「全く考えなかったか」という両者の間にはとてつもない隔たりがあるのです。

そのものがあるのかどうか確かめに行った結果、やっぱりなかったと実感をともなって分かった人。

自分の目で確かめもせずに、誰かが言った言葉をそのまま真実であるかのように思い込んでしまった人。

実際にやっていることは同じに見えても、存在自体の説得力はまるで違いますね。

アートは文明世界の解毒剤

文明世界は同質化を求めます。

生き物を共同体として管理することで、その力を高めていくことが目的だからです。

そこに存在する個々の力を束ねて、一部の特権階級に権力を集中させるという仕組みになっています。

集団がどんどん”同じ”になることを求めていく中で、救いとなるのが”美”を感じさせるアートです。

ここでいう”美”とは、形が整っているとか色が綺麗だとか言うレベルのものではありません。

そういう概念は時代によって変わります。

同質化は、本来自然の中に存在する生き物としての本能に反した行いです。

同質化によって窮屈な思いをしているところに、”美”を感じさせてくれるものが入ってくる。

アートに触れることで、無責任に違いを追求することが許されます。

そのような意味において、アートが解毒剤となるのです。

”同じ”が溢れる世界に”違い”をもたらすのがアートです。

アートが求められる世の中というのは、同質化によって歪んでしまった環境を浄化したいという心に覆われた世界なのかもしれませんね。

興味深いのは「”美”が”同じ”物の集積である」という主張です。

普通の人の顔を何百枚の重ねていくと、最終的に美人の顔になるそうです。

これは、一見不可解なようですが、なるほどなと頷けますね。

世間で美人だと言われる人は、それだけ多くの人からの支持を集めているということです。

つまり、多くの人が共通して美しいと感じる形質が美人なのです。

美人は希少価値こそあれ、その形質自体は多くの普通の集積である。

これは、物事の良し悪しを判断する際にも覚えておきたいことですね。

自分の判断基準が一体何を根拠にしているのか、問い直すきっかけをくれます。

”私”を証明してくれるもの

あなたは何を持ってしてあなたなのでしょうか?

社会においては、人を人たらしめているのは”情報”であるという結論に至ります。

情報とは、変化しないものです。

変化しないものによって、変化する人間を定義づけているという矛盾が生じています。

筆者が自身を証明するものは免許証だという件があって、思わず笑ってしまいました。

自分が自分であることなんて、自分が一番分かっているだろうし、そんな小さなカード一枚が自分の存在を確かなものにしてくれるなんておかしな話だと思ったからです。

あなたの存在と免許証の存在。

その存在の重みは、どちらが上だと思いますか?

自分を主体をしたならば、間違いなく自分であると答えるでしょう。

ところが、銀行で口座を開くとなると、途端にその重みが逆転します。

生き物として、より安定するために社会を形成したはずなのに、今やその社会自体が安定するために私たちをパーツとして使っているような滑稽さすら感じます。

若者のSNSへの入れ込みが熱心なことにも言及されています。

その原因は「情報化社会のノイズ」を嫌っているから。

SNSは、いわば情報の洪水です。

なぜ、そこに飛び込んでいくことの原因が情報のノイズを嫌っていることと繋がるのでしょうか?

それは、自分の心地良い情報だけに触れることができるからです。

一種の情報中毒と言っても良いですね。

もちろん、各SNSの裏で動いてるアルゴリズムが、人の脳の性質をハックしにかかっていることは言うまでもありません。

そうだと分かっていても、私たちが身を置くのは身体性が薄れてしまい”意味”しか存在しない現実世界。

自分自身の心地良さを感じさせてくれるSNSの世界の方は、身体性を失ったことの補完になっている可能性があります。

時空は人の意識の産物です。

それは物事の関係性の中に見出されます。

SNSの世界もまた、バーチャルな関係性を軸にして、時空と居場所を形成しているのです。

【時間の正体は〇〇!】時間は存在しない【カルロ・ロヴェッリ】

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進化の本質はズレ

人は発生から誕生まで十月十日かかります。

個体によって多少の差はありますが、それは些細なことでしょう。

この発生過程は、進化とともに次第にずれていきます。

5億年経つ頃には、シーラカンス状態がヒト状態にまで変化します。

著者は、進化とは「発生過程のズレ」以外の何ものでもないと述べています。

生物の受精卵は全て丸い形をしています。

その大きさに差異はあれど、発生過程の第一段階においては、全ての生物の形は同じです。

生命の歴史は◯の連続なのです。

卵の中には遺伝子があって、それはDNAで構成されているようですが、現代でもDNAの98%は何をしているのか分かっていないのです。

発生学という学問についての言及がありますが、これについては実験的証明が先理論が後問い稀有な分野だとされています。

(普通、理論が先にあって、それを確かめるために実験が行われる)

筆者のスタンスは、生物の発生においては、こうなる物なのだという程度の理解で済ませておくというものです。

あとは、詳しく調べている人に委ねる。

自分が追求できないと思った分野からは手を引く潔さも大事なのだと感じるエピソードです。

 

「メンデルの法則は情報の法則である」という言葉も興味深い。

19世紀の生物学には、まだ”情報”という概念がありませんでした。

だから、メンデル(メンデルの法則)もダーウィン(自然淘汰)もヘッケル(生物発生基本原則)も彼らの発見した法則は、全て生物学の法則だと定義されたのです。

ところが、きちんと紐解いていくとどの法則も情報に関する法則なのです。

”情報”という言葉が変化しないものを示すということが、筆者の主張の根底にあることを踏まえると、ここでも「変化するものを変化しないもので定義づける」という矛盾が生じることが分かります。

情報とはすなわち意味。

情報化社会という”意味”しか存在しない世界で、変化するものは存在できるのか?

人間は、ものに意味を与えることで、その実、自分達の居場所をどんどん狭めているのです。

「自己を残したい」という願い

科学の前提は「変なるものを不変なるものでコードすること」。

これは科学に限らず、時間を含む過程を記述するときに、どうしても生じてしまうことです。

例えば、実際の運動は、まさに時間とともに動く”過程”です。

ところが、運動という言葉・概念は時間を止めてしまう

物事を記述する」ということの課題がここにあります。

記述さえしなければ、時間は勝手に流れ続けていくのです。

それはそれで仕方ないと認識できます。

けれども、意識はそれを記述しようとします。

西洋科学の思想の根幹には、情報として自己を残したいという願いが見て取れます。

文字の発明は、まさにそんな願いを体現したものでした。

「時を超越して後世に生きた証を残したい」

権力欲・支配欲の歴史を見ると興味深いことが分かります。

古来、時の権力者は都市をつくり空間を支配しました。

次に、ピラミッドや墳墓で地震の権威を示し時間を超越しようとしました。

現代、最も洗練された時を超える装置が「文字」です

文字に書かれたことは、建物などと違って決して風化しません。

これは、人の中にある意識が不死を希求した結果であるとも言えます。

”意識”自体には大した力はなく、その存在も身体性に左右されてしまいます。

それを気に入らなかった”意識”は「偉いのは俺だ」と主張します。

ヒトの生活から意識を外すことはできません。

私たちにできることは「意識がいかなるものか、理解する」ことです。

啜れば、ああしてはまずい、こうすればいいということがひとりでに分かってきます。

問題は、意識について考えることをタブーにしてきたことです。

全ての学問は”意識”の上に成り立っています。

意識を考えるということは、それらの土台を全て掘り起こすということ。

暗黙の了解として、誰も疑ってこなかった部分を疑うのは大変な作業です。

けれども、それを通してこそ「意識する」ということを理解できるのです。

まとめ

最後まで読んでくださってありがとうございます。

シリーズの中で一番難しい内容でした。

正直まだまだ消化不良、、、。

思考を回すよりも、理解しようと必死になってしまいました。

まだまだまとまりきってないので、この本は再読必至!

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